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ペルー音楽ドキュメンタリー

2013年8月23日 金曜日

 

 22日、ハビエル・コルクエラ監督作、ペルー音楽を追ったドキュメンタリー『SIGO SIENDO (Kachkaniraqmi)』(シゴ・シエンド)がペルーにて公開された。本作はリマ映画祭のドキュメンタリー部門最優秀賞を受賞した作品で、スサーナ・バカやラウル・ガルシア・サラテを筆頭に多くのペルーの伝統的な音楽家を追い、ペルー音楽へと迫った。

 ハビエル・コルクエラ監督はこれまで数々の国際映画祭にて受賞経験のあるペルー人映画監督で、『La espalda del mundo』(2000)や『Invierno en Bagdad』(2005)の監督として著名。

 また本作は、9月下旬に開催されるスペインのサン・セバスティアン国際映画祭に出品されるとのこと。是非そこで話題を呼び日本でも鑑賞できる機会をうかがいたいものだ。Sa

SIGO SIENDO (Kachkaniraqmi)オフィシャル・トレイラー

レディー・ガガ、ペルー公演の集客は半分以下

2012年11月28日 水曜日

 度々の来日でも知られる米国の人気歌手レディー・ガガが、今月23日にペルー・リマ市でコンサートを行ったが、コンサート会場の半分以下の集客であったことが明らかになった。世界的な人気を集める超有名人だけに、このような事態は異例だとして話題を集めているようだ。

 ペルーでのコンサートはレディー・ガガの南米ツアーの一貫として行われ、他にもブラジル、チリ、アルゼンチン、コロンビア、そして最終公演のパラグアイ公演では約4万人のファンを集め盛大に行われた。しかしペルー公演はリマ市の大スタジアムを貸し切って行われたが、収容可能人数5万2000人のうち、集まったのは1万7000人のファンだった。

 その事態を受け、ダフ屋は急遽チケットの値段を大幅に下げて対応。チケットの元値は1288ソル(約490ドル)であったが、最終的に非正規値では150ソル(約57ドル)にまで落ち込んだ。

 とはいえど、一部の熱狂的なファンはレディー・ガガのペルー到着から滞在期間中は追っかけに徹し、コンサート前夜は会場前に泊まり込み当日のコンサートに臨んだそうだから、人それぞれというものか…。tae

収監中のフジモリ元大統領が謝罪の意を示す自画像を公開

2012年10月22日 月曜日

人権侵害などの罪で禁固25年を言い渡され、現在服役中のアルベルト・フジモリ元ペルー大統領(74)。最近、健康状態が悪化しているとしてその長女であり政治家のケイコ・フジモリ氏が恩赦申請していたのは日本語のメディアでも伝えられていたのでご存知の方もいるかも知れない。

恩赦申請の結末は未だ見えていないが、そんな渦中、実はペルー本国でアルベルト・フジモリ氏に関するこんなスクープ報道があった。フジモリ氏が収監所で“謝罪の意”を示す自画像を描いた、というのである。その自画像がこれ。

fujimorijigazou
periodismo en lineaより引用)

自画像には、「最後までやりきれず、回避できずすまなかった。(2012年10月 A・フジモリ)」と自筆の文章が添えられている。これは、フジモリ氏の元側近で親交の深いカルロス・ラッフォ氏が、フジモリ派のテレビ局パナメリカーナ・テレビを通して公開したようである。また、同時にフジモリ氏の病床姿の写真も公開し、ラッフォ氏は自らのツイッターで「どんな言葉よりも意味のある写真だ」とつぶやいた。

しかし一方では、これらラッフォ氏の言動はすべてフジモリ氏の恩赦を促すメディア作動だと言われており、やせ細った写真を公開して同情をそそる目的であると指摘されている。

アンデスの民族衣装ポンチョに身を包みほほえむフジモリ元大統領に、恩赦の未来はやってくるのだろうか。tae

Doodle 4 Googleでチャブーカ・グランダの生誕92年をお祝い

2012年9月3日 月曜日

本日9月3日はペルーの歌手チャブーカ・グランダの誕生日、生誕92年を迎える。
ペルー版Googleでは、Doodle 4 Googleという小中高生を対象としたデザインコンテストによるGoogleロゴを使い、生誕92年を祝っている。

チャブーカ・グランダは1920年ペルーのアプリマック生まれ。バルス・クリオージョ(ペルーのワルツ)、また様々なアフロペルーのリズムを用いた曲を歌い、また自身で作曲もし、現在もそれらの多くが歌い継がれている。1983年にマイアミで虚血性心疾患で亡くなった。

小中校生対象のデザインコンテストで伝統的歌手がモチーフになるというのだから、ペルーの今後が益々楽しみだ。Sa

ペルー版Googleにて本日中であればチャブーカ・グランダ生誕92周年記念Googleロゴを閲覧可!

マヌエル・ヘスス・バスケス・ゴジェネチェ亡くなる

2012年3月19日 月曜日

マンゲこと、アフロペルー音楽を代表するパーカッション奏者のマヌエル・ヘスス・バスケス・ゴジェネチェが現地時間17日に亡くなった。

朝の4時30分頃にリマ市内の街頭で推定45歳程度の遺体が発見され、のちにその遺体がパーカッション奏者のマヌエル・ヘスス・バスケス・ゴジェネチェだと照合された。

マヌエル・ヘスス・バスケス・ゴジェネチェはマンゲの愛称で親しまれ、エレクトロ音楽とアフロペルー音楽の融合で世界的に名を知られるグループ、ノバリマでもパーカッション奏者として活躍してきた。リマでは老舗ライヴハウス、ドン・ポルフィリオにて演奏を長年続けてきた。

ベテランとはいえまだ40代。彼の不慮の死が残念だ。Sa

NOVALIMA/MACHETE



<追記>彼のインタビュー映像

(映像はスペイン語。日本語は以下参照)
ーアフロペルー音楽の老舗ライヴハウスの名前にもなっているドン・ポルフィリオについて
私の祖父、ポルフィリオ・バスケス。彼はアフロペルー音楽の先駆者の一人だった。サパテアドール(サパテオをする人)としても、歌手としても、作曲者としても完璧だった。ギタリストとしてもね。

ー音楽、どんちゃん騒ぎ、家族について・・・
音楽はきっと4歳くらいから演奏してたよ。どんちゃん騒ぎっていうのは、叔父だとか、家族が入れ替わり演奏してたんだ。家族以外にも誰かが来て演奏したりね。子供の頃からそれ見て聴いて。その大人たちに煙草買ってよとかお酒買ってよとかそんな感じだった。それで机の上なんかでリズムをまねして叩いたりして。見たものを忘れないようにね。

ーそしてカホンについて
子供の頃からそういう音楽の雰囲気に囲まれていた。ある人はその頃からカホンを叩いていた訳じゃないだろというけれどね。バリオでお母さんと一緒にカホンを叩いているのをいつも聴いていたんだ。

ペルーのメディアでおなじみの“白い魔女”亡くなる

2012年2月8日 水曜日

 今月6日にペルーで“白い魔女”と呼ばれ数多くのメディアに登場してきた占い師ロシータ・チャンがリマの病院で亡くなった。

   ロシータ・チャンは65歳で、糖尿病を患っていた。亡くなった日の夜は昏睡状態にあったようだ。

なんとあのアルベルト・フジモリ元大統領もロシータ・チャンの占いを頼っていたという程、アタったんだとか。

 ロシータ・チャンの娘は、彼女の生前に起こった2つの悲劇が既に彼女の死を仄めかしていたという。2010年1月5日に夫が亡くなった。ここから家族の悲劇が続いた。今年1月24日にはリマック川付近で34歳の息子が遺体で発見された。この件は殺人事件との疑いがでている。

占い師の人生とはなんと複雑なのだろう。Sa

テレビ番組に出演し次期大統領を予言するロシータ・チャン

インターネットハッカー集団と争うジャンマルコ「SOPAを飲んでPIPAを吸って」

2012年1月27日 金曜日



 2005年に引き続き二度目のグラミー賞受賞を果たし、今年4月に日本ツアーも決定しているペルーの歌手ジャンマルコだが、来日を目前にウェブ上で問題が発生しているようだ。

 米国でオンライン海賊行為防止法案(SOPA)や知的財産保護法案(PIPA)など、ネット犯罪に対する法案に関する議論が激化する中、米国でも活躍中のジャンマルコは自身のFacebookにてコメントを残した。「そのような法案には反対だ。インターネットが普及し始めた頃はもっと自由だった。そんな風に厳しく取り締まるべきじゃない」

 しかし、同じ書き込みの中にこのような言葉もあった。「ネット上の海賊行為やお金を払わずに自分の作品をパソコンにたくさん入れている人たちを嫌に思う。(中略)のんびりSOPA(ソパ=スペイン語でスープ)を飲んでPIPA(ピパ=スペイン語でパイプ)でも吸った方がいいな」

 この矛盾した発言がfacebook上で論争を引き起こし、ジャンマルコはそのことに対しこんな風に対処。「思わしくないコメントをする人たちに「削除」ボタンをクリックするのは楽しいし大好きだね」  数時間後、ジャンマルコのウェブサイトは一時間以上の間、接続不可に。ハッカー集団アノニマスがTwitterにて「SOPA賛成と言ったり反対と言ったり」と発言したことにより彼らによって行われたハッカー行為であったことを明らかにした。

 その後Facebookでの発言を控えていたジャンマルコだが、あるインタビューでこのことに対する質問には「アノニマスは俺のことを黒白はっきりしないジョーカー呼ばわりして中傷行為をはたらいているが、俺は中傷行為はしていない。ただSOPAを飲んでPIPAを吸うって冗談を言っただけ」と答えた。

 非現実空間での問題に疲れ切っている様子のジャンマルコだが、日本では元気にパフォーマンスしてくれることを願う。Sa

グランミロンガ
◆2月19日(日)開催! スパイラルホール 前売¥5,500 当日¥6,000(w/1 drink)

カジェ・トレセの遅刻をスサーナ・バカ大臣が叱責!

2011年12月7日 水曜日

ペルーのスサーナ・バカ文化大臣が、先週末ペルー・リマで開かれたプエルトリコ出身レゲトングループ、Calle 13(カジェ・トレセ)のコンサートで、カジェ・トレセが5時間の遅刻をしたことに対し、本人たちに謝罪を求めていたことが分かった。今年7月、スサーナ・バカが現役の歌手から新文化大臣に大抜擢され、政治活動のかたわら歌手活動も継続すると宣言し、ますますその活躍に注目が集まっている。(以前のニュースはこちら

「無礼な行動ではありませんが、ステージ上ではその態度は改めるべきであり、謝罪するべきです」カジェ・トレセのシングル「Latinoamérica(ラテンアメリカ)」でも共演した仲ではあるが、文化大臣の立場からスサーナ・バカははっきりとこうコメントした。


(このPVにはスサーナ・バカが出演(3:15頃)。因みにその前に出演しているのはもう一人のゲスト、コロンビアのトトー・ラ・モンポシーナ)

3日、コンサート会場にはファン2万人が集まり、スサーナ・バカも駆けつけていた。なかなか姿を現さないカジェ・トレセに苛立ちはじめたファンはブーイング。予定時刻を5時間過ぎてようやくステージに現れたカジェ・トレセに、瓶や物体を投げつけ、投げつけられたキーホルダーが、通称“プレシデンテ”として知られる歌手レネ・ペレスの顔面に直撃するというアクシデントまで起こってしまった。

「このクソ音楽を止めさせてくれ。俺等は3日間もろくに寝てないんだ。俺はルイス・ミゲルでもないし、シャキーラでもない。ジャグジーにつかって羽を伸ばすことだってできなかったんだよ!」と逆ギレした“プレシデンテ”。仕舞いには「ここに残りたいヤツには感謝するよ。出て行きたいヤツはとっとと帰りやがれ」と暴言を吐いてコンサートを締めくくった。

現在、このカジェ・トレセの態度がペルー中で物議を醸しており、それに対してバカ大臣は「カジェ・トレセは、ファンのためにお詫びの無料コンサートを計画しているところです」と説明した。一方、問題の張本人レネ・ペレスは「遅刻は認めるが、(ペルーという)国も尊重しなければいけないから」と謝罪の無料コンサートに前向きの姿勢を示した。ペルーを代表する大歌手、スサーナ・バカからの直々のお叱りが効いたのか、問題は何とか解決しそうだ。tae

ユネスコ世界無形文化遺産にマリアッチとファドが登録!

2011年11月28日 月曜日

27日、国連教育科学文化機関(UNESCO)はメキシコの「マリアッチ」とポルトガルの「ファド」を世界無形文化遺産に登録したと発表した。その他、中南米圏では、コロンビア・ユルパリのシャーマン伝統文化とペルー・クスコ地方の祭儀も同時に登録となった。今回の登録件数は14件で、広島県「壬生の花田植」や島根県「佐陀神能(さだしんのう)」なども登録に至った。

メキシコのお祭りに欠かせないシンボルとなっているマリアッチだが、演奏だけでなく、世襲財産、歴史、先住民族の言語を後生に伝える役割を果たしていることから、登録に至ったとしている。基本編成は4人以上で、使用楽器はトランペット、バイオリン、ビウエラ、ギタロンなど。現在では、メキシコ各地方に纏わるレパートリー曲を数多く持ち、幅広く聴かれる音楽となっている。

一方ファドは、男性または女性ボーカル1人にアコースティックギターとポルトガルギターで奏でられる、ポルトガルの都市民に親しまれている歌だ。ユネスコには「19世紀初頭からはじまった都会的音楽の流行とともに生まれた歌。アイデンティティーのシンボルであり、アフロブラジル文化の踊りや田舎地方の歌や踊りを包括した歌である」と登録された。

メキシコは2008年に「死者の日」、2010年に「メキシコ伝統料理」が無形文化遺産に選ばれたばかりだ。今回ファド、マリアッチの音楽が文化遺産に登録されたことで、音楽目的の観光客も増えるのだろうか。何より音楽界が盛り上がることに期待しよう。tae

ペルー地震の被害は最小限か

2011年10月29日 土曜日

 日本時間で29日未明にペルーで発生したマグニチュード6.9の地震で、津波の報告はなく、死者の報告も現時点ではないことがわかった。
 また現時点で日干し煉瓦製家屋35世帯が崩壊したものの、けが人は17人と、被害は最小限に抑えられている模様。
 この地震の震源地はペルー海岸部で、山間部でも大きい揺れが観測された。

 ペルーでは2007年に起こった地震で500人の死者を出した。今回の地震では今後さらなる被害の拡大が起こらないことを祈る。Sa