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チリのバンド、ロス・トレスのMVが問題に?

2014年1月17日 金曜日

1990年代以降、チリのロック界を牽引してきたバンド、ロス・トレス。そんな彼らが年明けを祝うとともに現地時間1月1日午前0時ちょうどに発表した曲「Hey hey hey」のミュージックビデオが暴力、女性差別を助長するものとして大きな波紋を呼んでいる。
 歌詞に即したストーリー仕立てに撮影されたこのミュージックビデオ、ある男が不貞を理由に妻を殺すという内容だ。監督はチリ人映画監督のボリス・ケルシア。
 問題のビデオに対し、ロレート・セゲル国家女性省(Sernam)大臣が「争いごとをこのような暴力的、差別的な方法で解決することを肯定しており、罰されるべき。チリにこのようなビデオは不要」とTwitter上で批判、炎上を招いた。
 ビデオはロス・トレス・オフィシャルサイトにてこの曲がバンドにとって新たな第一歩となるとして発表された。この曲の作曲者であり当ビデオのプロデューサーでもある、ロス・トレスのリードボーカル、アルバロ・エンリケスはメディアのインタビューに「このビデオが女性差別的殺人や暴力を教唆だと考える人は心が病んでいると思う。ロス・トレスは女性差別には大反対なんだ。嫉妬深いシェイクスピアが悲劇『オセロ』を書くに至ったのと同じようなことだ」と答えている。また、彼は「この曲やビデオのテーマは『極限に至った人間の行動はなんて興味深いんだ』ということ」とコメント。
 ビデオに出演した2人の女性のうちの1人、映画などでも活躍するチリ人女優マリア・ルイサ・マジョルは「このビデオは女性差別に反対の意を表している」とし、セゲル大臣のTwitterでの発言に対し「とても残念」と返信し、さらに「当局が否定的な発言をする前は多くの視聴者から肯定的なコメントをもらっていた、これは当局が勝手に仕掛けたことだ」と発言した。
 またこの議論はチリ国内だけでなく、スペインにまで波及している。遠く離れたスペインで激しい議論の的となっているのが、当ビデオのキャストであるガリシア出身の俳優ルイス・トサル。ジェンダー問題の解決を目指し活動するガリシアのNGO団体Implicadas No Desenvolvementoが主催するフェスティバルへ2008年より毎年出演していたルイス・トサルだが、このビデオへの出演を受け、フェスティバルより追放されるという形になった。トサル自身は同団体の公式サイトにて謝罪文を発表した。
 女性差別に反対するメッセージのつもりが裏目に出てしまったのか、現在は世界中から否定的な意見が寄せられている模様だ。Sa

4000人の前で全裸で歌ったグスタボ・コルデラ「チリは臆病で保守的」

2012年4月2日 月曜日

ビョークなどの出演もあってチリ現地で大盛り上がりのフェスティバル、ロラパルーザ・エン・チレ。しかし先週土曜のステージで圧倒的に話題をかっさらったのは、アルゼンチンのグスタボ・コルデラだった。

ベルスイート・ベルガラバットの元リーダー兼シンガーのグスタボ・コルデラは土曜の昼間から4000人の観客を目の前にショーの途中から服を脱ぎ、自身の歌「La bomba loca」を全裸で歌った。

さらにショー終了後には数千台はあると思われるカメラの前へ全裸のまま出て行き、「これが2012年の俺の楽しみ方だ」とコメント。撮られた写真はウェブですぐに出回った。

コルデラは今回の件に対し、チリのテレビ局のインタビューで「皆が毎日やるように、鏡で自分を見るようなものだ。鏡で自分を見るのって皆好きだと思うけど」とコメント。「別に意味はないんだ。ただやっただけ。衝動にかられた。チリってなんだか保守的で、モラリストで、偏狭で臆病だ。同時にアラウカン族やマプーチェ族なんかのすばらしい部分も持っているけどね」

この後観客は6万人ほどに増え、アークティック・モンキーズやロス・ハイバス、そしてビョークらが予定通りショーを行い、無事に土曜のステージを終了した。Sa

ショー後のインタビューの様子

チリでマグニチュード7.2の地震

2012年3月26日 月曜日

チリの現地時間で25日の19時37分頃、マグニチュード7.2の大きな地震があった。
震源はチリ中南部の太平洋沿いで、震源から200キロ離れた首都サンティアゴでも建物の崩壊などが見られた。
しかし死者や重傷けが人の発表は今のところない。

アルゼンチンなど周辺諸国でも揺れは観測されたがいずれも死者けが人の情報はない。
当初太平洋を渡って日本まで津波の心配がなされたが、日本側も日本への大きな津波の心配はないと発表した。Sa

ビオレータ・パラの絵画が盗難疑惑

2012年3月19日 月曜日

18日チリの歌手ビオレータ・パラの家族は、ビオレータの弟であるニカノール・パラの家からビオレータの絵画作品数点が姿を消していることに気付いた。

しかしその数点の絵画はその後、ビオレータ・パラの孫であるクリストバル・ウガルテの家にて発見された。

結局パラ一家の外へ持ち出された訳ではないのだが、一体だれがこのようなことをしたのだろうか。

ニカノールの息子であるフアン・デ・ディオス・パラによると、その兄弟のうちの一人カタリーナが、年老いたニカノールの家に置いておくのは安全ではないとし、どこかもっと安全な場所へ動かそうと決めたのだとか。

因みに歌手としての活動が最も有名なビオレータ・パラだが、造形美術アーティストとしても実は優れた功績を残している。絵画作品をチリで公開し評判を呼び、1964年にルーヴル美術館で作品が展示された初のラテンアメリカのアーティストとなった。
因みにこのお騒がせな数点の絵画はビオレータ自身がジュネーヴに残したもので、ビオレータの死後に家族の要望でチリへ戻された。

それにしても、当初は盗難と考えられ大騒ぎになった。それくらい大切なものの保管場所は家族にきちんと伝えておきましょうと一言言いたくなる。Sa

ナノ・スターン、デビュー5周年記念ライヴ

2012年3月15日 木曜日



チリ出身の実力派SWWナノ・スターンが5月6日にデビュー5周年を記念し、サンチャゴ・デ・チリのネスカフェ・デ・ラス・アルテス劇場にてライヴを行う。

この5年間に出したCDは3枚(それ以前に自主制作盤が1枚出ているようだが)で、そのなかでも特に2009年に発売された『Los Espejos』がきっかけで世界中で有名となった。
またこれまでに数多くのアーティストとも共演しており、チリ国内ではインティ・イリマニ、ロス・ハイバス他。国外ではペドロ・アスナル、ホルヘ・ドレクスレル、パウリーニョ・モスカ、リサンドロ・アリスティムーニョ他。そしてコンポーザーとしてアスナルとモスカの共演時に曲を提供している。
彼は現在もオーストラリアツアー中で、この5年間を通しても世界各国で数多くのライヴやフェスティバルに出演してきた。

そんな5年間の活動を振り返ってのライヴ、かなり面白いものになりそうで各メディアで取り上げられている。Sa

約2万人がビオレータ・パラのオマージュコンサートに集結!

2011年11月18日 金曜日

   先日サンティアゴのカテドラル(司教座聖堂)前に約2万人が集まった。先月14日で生誕94周年を迎えたビオレータ・パラのオマージュコンサートを観るためだ。

 このコンサートにはクラウディア・アクニャ、インティ・イリマニ・イストリコ、アルバロ・エンリケス、アナ・ティジュ、カミラ・モレーノ、ハビエラ・パラ、フランシスカ・バレンスエラらが参加。また、アルゼンチンからスペシャルゲストとしてペドロ・アスナールも出演した。

 このイベントは約2時間にわたるもので、その中でビオレータ・パラの生涯を追って25曲が演奏された。
「17歳に戻れたら」を、チリ交響楽団の伴奏でクラウディア・アクーニャが1曲目に歌い、ハビエラ・パラの「Me gustan los estudiantes」アルバロ・エンリケスによる「Arauco tiene una pena」ペドロ・アスナールとフランシスカ・バレンスエラの「Primavera de Praga」「Maldigo del alto cielo」と続いた。
そして最も盛り上がった曲が、出演者全員がステージに上がり歌った「人生よありがとう」だったとか。

 こんな大イベントが首都のカテドラル前で行われた。いかにビオレータ・パラが国民から愛され続けているかが示されたようだ。Sa

ビオレータ・パラの壮絶な人生を映画化

2011年8月3日 水曜日

ビクトル・ハラとともにヌエバ・カンシオンの先駆け人でもあり、チリを代表するフォルクロリスタ、ビオレータ・パラの生涯を描いた映画『ビオレータは空の彼方に(Violeta se fue a los cielos)』がアンドレス・ウッド監督のもと制作された。チリでの公開は今月11日に控えている。

生涯貧しさとは縁切れず、波瀾万丈な人生を送った女性音楽家として有名なビオレータ・パラ。幼い頃から父親の影響でギターを弾き始め、その才能から海外での活躍も目覚ましく、チリのフォルクロリスタとして世界中を旅して渡った。音楽活動の他、刺繍や絵画の分野でもたくさんの作品を残している。

色恋沙汰が多かったビオレータは、結婚、離婚を経験し、最後の恋人と破局した後の1967年、銃で自らの命を絶った。その当時の苦しみを表現したのが名曲「人生よ、ありがとう(Gracias a la vida)」で、メルセデス・ソーサらのカバーとしても非常に有名だ。ビオレータは「人生よ、ありがとう」を作曲しているとき、指を血まみれにしながらギターを激しく弾き続けていたというエピソードも。

「ビオレータはたくさんの入口と出口を経験してきた」とウッド監督。また、主役ビオレタ役を演じた女優フランシスカ・ガビランは「勇敢で、母らしく、愛らしく、洗練されたユーモアのある女性」とビオレタについて語る。フランシスカ・ガビランはビオレータ本人にそっくりなだけでなく、現在音楽家として活躍しているビオレータの実息子アンヘル・パラとともに撮影に向けてギターと歌の練習に専念し、素晴らしい演技を見せつけた。また、息子アンヘルも本映画に出演している。

ストーリー性たっぷりの人生を歩んだビオレータ・パラの映画化は喜ばしいことだが映画館上映のみというのは非常に残念。tae

チリ鉱山事故のその後

2011年7月4日 月曜日

昨年8月にチリ北部のコピアポ近郊の鉱山落盤事故は、世界中に報道され奇跡の生還を果たした33人を一気に有名人にした。しかしその心に刻まれた傷は深く、33名のうち14名は年金受給の早期開始を希望している。

2010年8月5日に発生した今回の落盤事故。これまでも多くの鉱山労働者が落盤事故で亡くなっているチリでは、生存は絶望視されていた。しかし18日後に待避所へ到達したドリルの先端には、なんと33名全員の無事を伝える旨の手紙がくくりつけられていた。しかしそれまでの耐久生活はすべての人間を絶望へ追いやり、心に深い傷をつけるのには十分な時間で、今でも救助された全員が発生から地上と連絡の取れる18日間については多くを語ろうとはしない。非常に乏しい非常用の食料は、33人の体重を平均で10kg落とさせ、さらに底をつきかけていた。

その後、奇跡的な救出劇へと形を変えたわけだが、生還からは鉱山労働者としての仕事を続けることは難しいと話していた。そして事故当時現場監督を務めていたルイス・アルベルト・ウルスアさんがエル・メルクリオ新聞に語ったところによると、彼を含む14名の人間が身体的、また精神的に患っており、再び仕事に就くことが不可能だと話した。

チリ内務省が同新聞に話したところによるとここ1ヶ月以内に月428ドルほどの年金支給をするかセバスチャン・ピネイラ大統領から決定が下るとしている。(d)

チリ火山噴火の影響で欠航相次ぐ

2011年6月13日 月曜日

4日チリで起こったプジェウェ山大噴火による火山灰の影響で、アルゼンチンの主要空港(エセイサ、ホルヘ・ニューベリー)から出発する便に欠航が相次いでいる。今回キャンセルを決定したのはアルゼンチン航空、アウストラル航空、そしてチリのラン航空。

アルゼンチン航空とアウストラル航空はブエノスアイレス出発便を12日夜〜13日午前に延期したが、火山灰から形成された巨大な雲がはけぬまま空路に残っており、今後も安全面を考えた上で予断は許されないとしている。

噴火したプジェウェ山からは膨大な量の石と火山灰が放たれ、風によって北西方向に位置する山脈沿いのアルゼンチンの都市にまで到着している。そのため、現在までに多数のアルゼンチンの国内便、国際便は欠航を余儀なくされている。tae

<チリ火山噴火>サケ養殖業にも被害

2011年6月11日 土曜日

今月4日に起こったチリ・プジェウェ山の大噴火による被害が明らかになってきた。

噴火によってまき散らされた火山灰が、チリ南部の河川や湖を汚染し、チリの主要産業であるサケ養殖業に打撃を与えている。なかでも国内第三位のサケ養殖業区であるランコ湖とプジェウェ湖の汚染度が高く、チリ国立漁業サービス(Sernapesca)によると、現在までに少なくとも500万匹のサケの死体が発見されている。専門家によると、ランコ湖に繋がる支流ニラウェ川の水温は現在40℃に上っており、その水温では水中動物は生存不可能であると報告している。

チリはサケ養殖業においてノルウェーに次ぐ世界第二位の国。2009年のサケ総輸出額は21億7400万ドルだ。自然災害にかなわないのは我々日本人も東日本大震災で実感したが、チリの漁業者たちもサケの死体を目の前にそれを体験していることだろう。

また火山灰の被害はチリの他、近隣国のブラジル、アルゼンチン、ウルグアイにも広がっており、火山灰で形成される雲が航空機の飛行を妨げることを理由に多くの空港が閉鎖されている。徐々に空港は再開し始めているが、航空会社は運転を見合わせているところも多い。tae