‘エルサルバドル’ タグのついている投稿

人工妊娠中絶禁止国の被害者が回復へ

2013年6月5日 水曜日

世界の平安を維持するためには法律はなくてはならないものだ。しかしその法律は、科学技術の発展や時代背景など様々な形でその都度ある程度の変化が求められていく。しかし世界にはその変化が遂げられずに悪法として、いまだ改善されることなく残ってしまっている法律もたくさんある。その一つが女性の健康被害を防ぐためであっても人工妊娠中絶を禁止する法律だ。

22歳のエル・サルバドル人女性のベアトリスさんは子供を授かったものの、残念ながらその赤ちゃんには脳がなかった。もちろんこの状態では出産した場合にその赤ちゃんが生きられる可能性は限りなくゼロに近かった。その上、ベアトリスさん自身は狼瘡と腎不全に苦しんでおり、彼女の生命は危機にさらされていた。しかしエル・サルバドルの法律ではどんな理由であれ、人工妊娠中絶は禁止されており、過去には中絶を行った女性が殺人罪で起訴され、懲役30年の実刑を言い渡されたこともあった。今回のケースであっても例外ではなく、エル・サルバドルの最高裁は人工妊娠中絶を法律に則って認めなかった。もしベアトリスさんに人工妊娠中絶を行った場合、彼女と施術した医師が同様の罪を問われることになってしまう可能性があった。病院は現地の月曜日に妊娠27週目で帝王切開で出産させた。残念ながら赤ちゃんはその5時間後に死亡したが、ベアトリスさんは今、回復傾向にあるという。

エル・サルバドルのマリア・イサベル・ロドリゲス保健相は、最高裁の決定を批判し、女性の健康を危険に陥れたとして、法律改正の必要性を訴えた。ベアトリスさんは今回の妊娠で体験から不妊手術を受けたという。中学生、高校生が簡単に人工妊娠中絶を行う日本もどうかとは思うが、今回のように母胎の生命を危機にさらし、本人が中絶を望んでいる場合でも認められないというのは、悪法としか言えないだろう。(d)

フリエタ・ベネガス、慈善コンサートを発表

2011年3月29日 火曜日

ラテングラミー・ノミネートも定着してきたメキシコ・ポップの歌姫フリエタ・ベネガスが、29日、内戦で行方不明となったエル・サルバドルの子どもたちに対してチャリティー・コンサートを行うことを発表した。

エル・サルバドルは1992年、左翼ゲリラ軍と政府の間で結ばれた平和協定とともに終戦を迎えた。エル・サルバドール内戦は死者7万5千人、負傷者8千人、そして8千人の行方不明者を遺した。昨年1月、非政府人権活動団体の働きかけによってマウリシオ・フネス大統領は児童捜索委員会を立ち上げ、行方不明者の内、子どもの数は700人で、1994年以降実際にその内の300人以上が世界各所で発見されている。

そして終戦後はじめて行方不明の子どもたちに捧げる1日が設けられ、その29日の日にフリエタがチャリティー・コンサートを行うこととなった。

「このコンサートは行方不明の子どもたちを思い出すために開催します。いつも彼らのことを思い出し、どこにいても忘れないようにするべきです」とフリエタは語る。フリエタは20年間国際的な児童支援に努めたことで国際連合に評価され、2009年にはユニセフ親善大使として任命されている。また、プライベートで昨年10月に第1子シモナを授かったこともあり、今回のチャリティー・コンサートに意欲を見せている。tae

中米二カ国がキューバ政府を認める方向へ

2009年3月19日 木曜日

 中米で唯一、キューバ政府の存在を認めていなかったコスタリカ政府とエルサルバドル政府は、その方針を転換しキューバ政府との外交関係を見直すと発表した。

 コスタリカ政府は水曜日、キューバとの外交関係を見直すことを発表し、それに続けて3月15日の大統領選挙で選出されたエルサルバドルの新大統領となるマウリシオ・フネス氏がそれに続くとの声明を発表した。フィデル・カストロ前議長がその実権を握った1961年からコスタリカ政府、エルサルバドルは1959年からその外交関係が途絶えていた。

 コスタリカのアリアス大統領は、“これまでも中国などの体制の違う国々を認めてきているところで、キューバを認めないというのはおかしい。”と声明を発表した。そして同日、フネス氏も同様に関係改善し、就任する6月1日には公式な声明として発表するとしている。d

中米二カ国がキューバ政府を認める方向へ

2009年3月19日 木曜日

 中米で唯一、キューバ政府の存在を認めていなかったコスタリカ政府とエルサルバドル政府は、その方針を転換しキューバ政府との外交関係を見直すと発表した。

 コスタリカ政府は水曜日、キューバとの外交関係を見直すことを発表し、それに続けて3月15日の大統領選挙で選出されたエルサルバドルの新大統領となるマウリシオ・フネス氏がそれに続くとの声明を発表した。フィデル・カストロ前議長がその実権を握った1961年からコスタリカ政府、エルサルバドルは1959年からその外交関係が途絶えていた。

 コスタリカのアリアス大統領は、“これまでも中国などの体制の違う国々を認めてきているところで、キューバを認めないというのはおかしい。”と声明を発表した。そして同日、フネス氏も同様に関係改善し、就任する6月1日には公式な声明として発表するとしている。d

エルサルバドルの母 マリア・フリア・エルナンデス逝く

2007年3月31日 土曜日

 中米エルサルバドルの12年に及ぶエルサルバドル内戦で多くの被害者がでている中、あたたかい救いの手をさしのべていたマリア・フリア・エルナンデスさんが金曜日、68歳でなくなったと発表された。

 エルナンデスさんはローマ・カトリック教会後援の市民権団体の代表として、12年に及んだ内戦の被害者たちを支え続けていた。しかし今月9日に心臓病で入院し、水曜日に一度心臓発作を起こしていたが、金曜日に容態が悪化、帰らぬ人となった。

 1939年にエルサルバドル人の両親の間にホンジュラスのサンフランシスコ・モラサン市に生まれ、すぐにエルサルバドルに移った。その後、教会の社会奉仕活動に彼女の人生を捧げ、一度も結婚することはなかった。(d)

中米エルサルバドルで地震

2006年12月22日 金曜日

20日水曜日、エルサルバドルとグアテマラ国境付近で規模の小さい地震が続き、数百戸の家屋がダメージを受けたと発表した。

地震の規模はマグニチュード2.3-4.3と小規模だったが、そのうちの100回以上の揺れが人の感じる揺れだった。一時パニック状態になって逃げ惑っていた人々も落ち着きをみせ、今のところ負傷者の報告はない。しかし首都サンサルバドールから80km離れたアチキザヤ・シティーでは90人以上が中央公園の非難テントででの生活が余儀なくされている。

赤十字職員のラウル・ムリジョ氏は、地震による被害はだいたい300戸の家屋が一部損壊また半壊、壁が崩れ落ちるなどし、中には家がまるまる全壊したケースもあったと報告した。(d)

アレハンドロ・サンス、初のエルサルバドル公演!

2004年1月5日 月曜日

 グラミー男の人気シンガー、アレハンドロ・サンスが初のエルサルバドル公演を行う。彼のツアー“12×8”の一環として2月12日の一公演のみとなる予定で、他にもパナマからスタートしグアテマラやメキシコなどを廻る。また6月にはリスボンで行われるロックの祭典「ロック・イン・リオ」にスペイン人初の歌手として参加する予定。さらに最新アルバム『ノ・エス・ロ・ミスモ』が、グラミー賞最優秀ラテン・ポップス部門にノミネートされるなど、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで突き進んでいる。いいぞアレハンドロ!

モロトフ、エル・サルバドールに入国できず

2003年10月12日 日曜日

 中米エル・サルバドールの首都サン・サルバドールで10月11日にライブが予定されていた、ロック・エン・エスパニョール界のメキシコの超人気グループ、モロトフの公演がエル・サルバドール政府の入国拒否決定で中止となった。理由は彼らのライブでの安全面での問題と、また同国の若者たちにとって彼らの音楽は精神面で不健康だとの訳のわからない理由。  今年グラミー賞を受賞した同グループだが、政府の決定とあってはどうすることもできず、エル・サルバドール公演は中止となり、同国のファンたちはがっかり。