アルバロ・トレスが3年ぶりに新作アルバムを発表

エルサルバドルの国民的歌手アルバロ・トレス

エルサルバドルの国民的歌手アルバロ・トレス

今年4月、中米エルサルバドルの国民的、と言ってよい歌手アルバロ・トレスが3年ぶりに新作アルバム『オートラ・ビダ』を発表した。キューバ・ツアー中での発言だった。トレスにとって2度目のキューバで、初ツアーは2011年に実現している。当時のビデオが残っていてハバナを散策中、トレスの存在を知った市民たちが歓迎の思いをこめて彼のヒット曲「ナダ・セ・コムプラ・コンティゴ」を和す場面はなかなか感動的だった。

エルサルバドルの歌手としてはじめて音楽大国キューバでのツアーを成功させたことはすでに多くの中米メディアは伝えられている。

キューバとエルサルバドルは、現代史において特異な親密性がある。1980年代、エルサルバドルは中米紛争のなかにあってもっとも悲惨な内戦を展開していた。米国のオリバー・ストーン監督の映画『サルバドル』や、近年では『イノセント・ボイス』でも内戦の深刻な状況が描かれていた。本格的な内戦がはじまる前、日本の企業経営者が警察と反政府武装組織とのあいだに起きた銃撃戦に巻き込まれて死亡する事件もあった。その内戦下、政府軍に対峙した反政府武装組織ファラブンド・マルティ民族解放戦線(FMLN)の指導部が避難地として、また負傷者たちをキューバは受け入れていた。内戦後はキューバの医療団が送られ各地で活動した。

今回、トレスのことを記したいと思ったのは9月下旬、首都サンサルバドルの女性ガン患者を治療する病院内で、百人ほどの患者を前に小さなコンサートを開いた記事を読んだからだ。

トレスの全盛期は80〜90年代であった。これまで30枚以上のアルバムを発表しているが、その大半が祖国での自由な活動がゆるされない時代の制作であった。おそらく平穏な時代であれば、中米でのセールスは飛躍的に伸びたはずだが、社会状況がそれをゆるさなかった。

トレスの歌には社会性は希薄だ。おだやかなポップスであり、基本的にボレロだ。内戦下のエルサルバドルでは大衆は各地に拠点をかまえるローカルなクンビア・バンドのリズムに乗せて踊っていた。トレスにもクンビアやレゲエのテイストを取り込んだ歌がある。しかし、そうしたリズムを使いながらも、すべて、おだやかなトレス節に仕立てる、そんな歌手だった。戒厳令下の夜、外出が禁じられた家のなかを癒す音楽にトレスの愛の歌があったのだ。同国がもっとも苦難に満ちた時代の民衆によりそった癒しであった。ガン患者を前にしたアットホームなコンサートは国内ツアーを準備中の出来事であった。

(エルサルバドル●上野清士)


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