ガルシア・マルケスも認めた名翻訳家グレゴリー・ラバッサ死去

ラテンアメリカ文学ブームの立役者だったラバッサ氏

ラテンアメリカ文学ブームの立役者だったラバッサ氏

ブラジルの代表的人類学者ダルシー・ヒベイロ(1922〜1997)が晩年心血を注いだ主著『ブラジル国民』(1995年)は、歴史人類学の視点から「いくつものブラジル」が形成されてきた経緯を解読し、「我々ブラジル人は、肉体も精神も混淆した国民なのだ」と主張した名著である。評者の手元には、原著も英訳版『The Brazilian People』(2000年)もあるが、両方を読了して感じたことは、「原著もすごいが、英訳版のほうが読みやすく、文章がこなれていて内容を理解しやすい」というものだった。この英訳者がグレゴリー・ラバッサ(1922〜2016)だった。

そのラバッサが、6月13日亡くなった。享年94歳であった。

ラバッサがスペイン語やポルトガル語の翻訳家として有名になったのは、なによりもガルシア・マルケスの『百年の孤独』英訳を1970年に刊行してからだ。原作者マルケスが、「ラバッサの英訳のほうが私のスペイン語原文よりも優れている、なにしろオリジナルよりもわかりやすいのだから」と発言したこともあって、ラバッサ訳は一般紙誌でも大きく取り上げられることになった。さらにコルタサルやヴァルガス・リョサの翻訳との相乗効果もあって、いわゆる「ラテンアメリカ文学ブーム」が英語圏でも1970年代に入って広まったが、このブームが起きたのは、まさにラバッサという翻訳名人のおかげだといっても過言ではない。

主な翻訳作品を列記すると、マルケスでは、『百年の孤独』、『落葉』、『族長の秋』、『予告された殺人の記録』、リョサは『ラ・カテドラルでの対話』、コルタサルは『石蹴り遊び』ほか、ブラジル文学作品では、マシャード・ヂ・アシス(『ブラス・クーバスの死後の回想』、『キンカス・ボルバ』)、ジョルジ・アマード(『砂の戦士たち』)、リスペクトール、ポルトガル作家ではアントニオ・L・アンツネスというように実に広範囲に亘る。

たとえば、批評家スーザン・ソンタグが、「ラテンアメリカが生み出した最大の作家で、ルイス・ボルヘスをも超越している」とマシャードを高く評価したが、これもラバッサの英訳があったからこそであった。(ちなみに、日本のソンタグ盲従評論家が、マシャード文学は素晴らしい、と自らのコラムに書いたりしていたが、これもラバッサ名訳の波及効果の一つといえる。)

父親はキューバ人という家庭環境で育ち、学生時代からロマンス諸語を学んだラバッサの、コロンビア大学博士論文は「1888年以降のブラジル文学における黒人」であった。

(ブラジル●岸和田 仁)

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