ルンバ・カタラーナの王様、ペレット逝去

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ルンバ・カタラーナの王様、ペレット(Peret=ペレ、ペレー、ペレッといったカタカナ表記もあるが、Bonet=ボネットなどと同様、ここではペレットとしておく)が8月27日にバルセロナの病院で亡くなった。79歳だった。
ペレットは7月の下旬、自身のウェブ・サイトで、肺ガンを患い、療養のため音楽の現場から離れることを告げていた。亡くなる少し前までは元気に振る舞っていたとのことだが、ガンはすでに他の臓器にも転移しており、肺炎をおこして、急速に状態を悪化させたようだ。
ペレットことペドロ・プビユ・カラフは、1935年、マタロの地に生まれた。47年に従姉妹とロス・エルマノス・モンテネグロを結成。演奏活動を始動させ、50年代に仲間たちとルンバ・カタラーナのスタイルを編み出していく。62年末に初録音。ソノーラ・マタンセーラのレパートリー「アベ・マリア・ローラ」をペレット流に演じたものなど、これがルンバ・カタラーナの歴史に刻まれる最初の録音とされる。カタルーニャのバリオに燻っていたヒターノたちのルンバは、ロックンロールとマンボを呑み込んだペレットの活躍に牽引され、ルンバ・カタラーナとして幅広いポピュラリティを獲得していった。彼がこのジャンルの「父」とされる所以だ。
60年代中盤以降、「ベレン・ベレン」「エル・ムエルト・ビーボ」など数々のヒット曲を生み、74年にはユーロビジョン・ソング・コンテストに参加。82年に福音主義教会の修道士となり音楽から離れるが、80年代末に復帰し、バルセロナ五輪の閉幕式で演じた「ヒターナ・エチセーラ」をヒットさせるなどした。
前世紀末には、若い世代からのルンバ・カタラーナ再評価が進み、00年にリリースしたペレットのアルバム『レイ・デ・ラ・ルンバ』では、マカコやオホス・デ・ブルッホ、エストパらと共演。最近作は09年の『デ・ロス・コバルデス・ヌンカ・セ・ア・エスクリート・ナーダ』だが、亡くなる前に初のカタルーニャ語作品の録音を終えているとのことだ。
葬儀は28日にバルセロナで催され、カタルーニャ自治政府首相アルトゥール・マスやオホス・デ・ブルッホの女性歌手マリーナら約5000人が駆けつけた。翌29日にはマタロの墓地に、家族と歌手のマリナ・ルセイユやジャンゴら友人250人ほどが集まり、馴染みのミュージシャンがペレットの2曲のルンバを演じる中、最期の別れが告げられたという。