「イパネマの娘」初披露から50年

 今年8月2日、ボサノヴァの楽曲の中でも特に世界的に有名である「イパネマの娘(原題:Garota de Ipanema)」が初めて公式に演奏されてから50年経った。

 1962年同日、ボサノヴァ創成期に欠かせない三人、アントニオ・カルロス・ジョビン(この曲の作曲者)、ヴィニシウス・ヂ・モライス(作詞者)、ジョアン・ジルベルトはリオのクラブでこの曲を初披露した。ちなみにヴィニシウスはそれまで歌手活動はおこなっていなかった(本業は外交官)が、この日行った3人でのショー【エンコントロ】が大ヒットしたことに気をよくして、約1ヶ月半続いたこのショーに出続けたという逸話も。

 またこの曲の誕生にまつわるエピソードがある。作曲者であるジョビンと、作詞者のヴィニシウスはリオのコパカバーナ海岸近くにあるバー「ヴェローゾ」をよく訪れ、酒を飲んでいた。そんな頃、エロイーザという少女がバーの近くに住んでいた。彼女はよくそのバーに母親のタバコを買いに来たりしていたが、当時10代後半(1945年生まれなので16、7歳)、さらにスタイル抜群であったこともあり、女性が大好きだった二人の目に止まる(ちなみにジョビンは30代中盤、ヴィニシウスは50歳手前)。そんな彼女からインスピレーションを受けて、「輝く海と太陽、そこに美少女がいて…でも僕の手には入らない…」となんとも初恋の少年のような歌詞のついたこの曲が誕生した。

 このリオでの初披露のあと、アメリカ人サックス奏者スタン・ゲッツがジョアン・ジルベルトとともに録音したアルバム『ゲッツ/ジルベルト』で当時のジョアン夫人、アストラッドが英語詞で歌い、世界的にヒット、様々な言語でカバーされ続けている、というのは皆様ご存じの通り。

 これからさらに50年、100年と歌い継がれるであろうこの曲と変わらず光り輝くイパネマの海岸と少女たちの未来を楽しみに…。

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