マヌエル・ヘスス・バスケス・ゴジェネチェ亡くなる

マンゲこと、アフロペルー音楽を代表するパーカッション奏者のマヌエル・ヘスス・バスケス・ゴジェネチェが現地時間17日に亡くなった。

朝の4時30分頃にリマ市内の街頭で推定45歳程度の遺体が発見され、のちにその遺体がパーカッション奏者のマヌエル・ヘスス・バスケス・ゴジェネチェだと照合された。

マヌエル・ヘスス・バスケス・ゴジェネチェはマンゲの愛称で親しまれ、エレクトロ音楽とアフロペルー音楽の融合で世界的に名を知られるグループ、ノバリマでもパーカッション奏者として活躍してきた。リマでは老舗ライヴハウス、ドン・ポルフィリオにて演奏を長年続けてきた。

ベテランとはいえまだ40代。彼の不慮の死が残念だ。Sa

NOVALIMA/MACHETE



<追記>彼のインタビュー映像

(映像はスペイン語。日本語は以下参照)
ーアフロペルー音楽の老舗ライヴハウスの名前にもなっているドン・ポルフィリオについて
私の祖父、ポルフィリオ・バスケス。彼はアフロペルー音楽の先駆者の一人だった。サパテアドール(サパテオをする人)としても、歌手としても、作曲者としても完璧だった。ギタリストとしてもね。

ー音楽、どんちゃん騒ぎ、家族について・・・
音楽はきっと4歳くらいから演奏してたよ。どんちゃん騒ぎっていうのは、叔父だとか、家族が入れ替わり演奏してたんだ。家族以外にも誰かが来て演奏したりね。子供の頃からそれ見て聴いて。その大人たちに煙草買ってよとかお酒買ってよとかそんな感じだった。それで机の上なんかでリズムをまねして叩いたりして。見たものを忘れないようにね。

ーそしてカホンについて
子供の頃からそういう音楽の雰囲気に囲まれていた。ある人はその頃からカホンを叩いていた訳じゃないだろというけれどね。バリオでお母さんと一緒にカホンを叩いているのをいつも聴いていたんだ。

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