アンデスギターの巨匠 ラウル・ガルシア・サラテ逝去

ラウル・ガルシア・サラテの通夜にて © Chikako Kawamata

ラウル・ガルシア・サラテの通夜にて
© Chikako Kawamata

アンデス音楽の普及に尽力したギター奏者のラウル・ガルシア・サラテが10月29日に急性肺炎のためリマ市内の病院で息を引き取った。85歳だった。
1931年にアヤクーチョ州のワマンガ郡で生まれたラウルは、8歳の頃からギターを弾き始め、12歳の時には、地元のステージに立ってリサイタルを行なったという。音楽家としての才能に恵まれていることは明らかだったが、父親から「これからの時代は専門職に就くことが大切だ」と教育されていたこともあり、大学で法律を勉強し、リマの司法府で25年間勤め上げた。ただし、その間も音楽を止めることはなかった。66年にはファーストアルバムを発表し、ソロ奏者として、また、兄のネリーとのデュオでも演奏活動を行なった。そして、47歳の時に司法府を退職し、ギタリストの活動に専念することを決心した。
アンデス音楽の世界観やその独特な多彩な音をギター一本で表現し、世界中のファンを魅了してきたラウルだが、これまでに発表したアルバム数は40枚を超え、受賞や受勲も数えられない程に及ぶ。また、2001年にはペルー文化庁(現文化省)から「生きた文化遺産」に認定されている。
13年に掲載された地元紙のインタビューでは、当時、左上腕骨折で演奏ができない状態にあったが、「私はアンデス地域の音楽を広めることを目的としてきた。大学生当時、海岸地帯の人たちはアンデス文化を強く拒絶していると感じたが、演奏活動を続けてきて、私の目的は、現在達成できたと感じている。また、私に続いてアヤクーチョの音楽を広めてくれる後継者も現れた」と、満足そうにその音楽人生を振り返っていた。その後、15年にペルー国立交響楽団のコンサートで、特別ゲストとして演奏したのがステージに立った最後となった。
30日に文化省で行われた通夜には、マヌエルチャ・プラドやロランド・カラスコ、リベル・オレといったギタリストに加え、ガイタン・カストロ兄弟、アンドレス・チマンゴ、マルゴット・パロミノ他、大勢の音楽家が会場に訪れ、それぞれが故人との想いを語ったり、代表曲を演奏したりと、夜遅くまでペルーが誇る偉大なギタリストとの別れを惜しんだ。
一方、故郷のワマンガでは3日間、喪に服すことが発表され、アルマス広場では地元の音楽家たちによる追悼演奏会が開催された。
なお、故人の遺志により、遺灰はリマとワマンガにあるファミリーの墓に分骨されている。
(リマ●川又千加子)


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