言語を巡る問題がつなぐ、 カタルーニャ主権問題とノバ・カンソン

市民組織代表の釈放を訴える横断幕の前で歌うマール・ボネット

市民組織代表の釈放を訴える横断幕の前で歌うマール・ボネット

10月21日カタルーニャの各地で独立運動を牽引してきた市民組織の代表の釈放を求める集会が行われた。バルセロナの集会では、スペイン検察によって煽動罪の容疑で逮捕されたサンチェスとクシャルトの拘留に抗議して集まった20万人余りの間にマリア・デル・マール・ボネットの姿があった。路上の特設ステージにギターを抱えて上がった彼女は「私が初めてこの歌を歌ったのは50年前のことです」と『Què volen aquesta gent』を歌い始めた。この歌は警察の取り調べ中に殺害された大学生ラファエル・ヒハロの死をテーマにしており、リュイス・リャックの『L’estaca』と並んで反フランコ闘争を象徴する歌として知られている。
一方リャックは、この集会に州議会議員として参加していた。彼は独立を巡る住民投票の実施を公約に掲げた独立派の統一戦線ジュンツ・パル・シ(Junts pel Sí)の一員として2015年9月の自治州選挙に出馬して当選、州議会から独立運動を支えてきた。
独立反対の立場を取るジョアン・マヌエル・セラートを含めて、カタルーニャ語で歌うことでフランコ体制と闘ったノバ・カンソン世代の動きに注目が集まるのは、カタルーニャで独立運動が拡大した大きな要因がカタルーニャ語を巡る中央政府の動きだったためだ。スペインの一部となった後のカタルーニャでもカスティーリャ語(スペイン語)に取って代えられることなくカタルーニャ語が共同体の支配的言語の地位を占めてきた。民主化後は自治憲章でカタルーニャ語とスペイン語を公用語と定めて現在に至る。市民が二つの言語を用いることが求められる社会で「我が子にカタルーニャ語習得の機会を!」とアンダルシアを中心とする国内移民の父母の要望で始まったのがカタルーニャ語を基軸言語とする現在の教育制度だった。スペイン語話者の必要性から誕生したにもかかわらず、フランコ派の流れを汲む国民党はカタルーニャ語教育がスペイン語話者の権利を脅かすと考える。2011年の総選挙で政権を取ると教育法改正に着手し、2013年にスペイン語で授業の25%を行うことを義務付ける改正法案を強引に可決した。当時の教育相の「カタルーニャの政党をスペイン人化させるのが目的」という発言とともに、カタルーニャの社会にスペイン中央政府に対する不信感が広がる契機となった。
そして、今回カタルーニャが行った一方的な独立宣言に対する制裁措置の中にも教育制度への介入が含まれている。この言語を巡る攻防が、スペインとカタルーニャの今後を大きく左右することになるだろう。
(バルセロナ●海老原弘子)


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