中米コスタリカ第二の都市 アラフエラは音楽の揺りかご

オットー・バルガス

オットー・バルガス

今年2月、オットー・バルガスという作曲家にして手練のサックス奏者が亡くなった。89歳だった。生前に評伝が書かれるほど20世紀後半の同国の大衆音楽にとってかけがえのない存在であった。
市場規模の小さな国の大衆音楽家は、時代の嗜好を敏感に嗅ぎ取って円滑に変容していかなければ生き残れない。
オットーは絶えず小規模のオーケストラを経営し、そのリーダー、作曲家として25年間、トップの位置にあった。そのディスコグラフィは、それぞれの時代を象徴する音楽を消化し、その音楽にふさわしい歌手を迎えてのアルバムとなっている。日本でいえば東京キューバンボーイズ的な位置だろう。そして、バルガスの音楽が形成された地として、あらためていま見直されているのが首都サンホセの北西20キロに位置する同国第二の都市アラフエラ。そして、その町から出た音楽家たちの系譜、その音楽史である。同国のオピニオン紙ラ・ナシオンが特集を組んでいた。
アラフエラは20世紀前半から多くの音楽家を輩出してきた。その劈頭に、音源は残っていないがエスペランサ、マリア、そしてアンヘラのソラノ・イダルゴ三姉妹による音楽が人気を博したと文献がある。三姉妹は約20年間も活動した。その姉妹たちがそれぞれ結婚し、音楽を中心とするイダルゴ・ファミリーを形成し、アラフエラに広く音楽の種を撒いた、と同国の歴史家エクトル・ロハス・ソラノが、その著『アラフエラ民衆の音楽の履歴』で語る。イダルゴ一族が撒いた種は、そこかしこで芽を出した。首都の後背地ということで音楽が収入となる条件もあった。
バルガスもまた少年期から父親のバンドのなかに入って音楽活動を開始している。こういう親族グループの多さはラテン音楽の特徴でメキシコのバンダ、ノルテーニョ音楽、あるいは クンビアのグループに実に多い。
また、音楽研究家のマリオ・サルディバルは、町の役人たちや有力者が才能を見込んだ若い音楽家にアカデミックな音楽教育を受ける機会を提供していた事実を証明している。そのあたりは、あくまで自助努力しか認めないメキシコや他の中米諸国と位相があるようで、それは今日につながるコスタリカの教育水準の高さのひとつの表れではないかと思う。
そのバルガスは、2015年5月、首都サンホセの国立劇場において、その生涯の音楽活動を顕彰されている。バルガス自らサックスを手に臨み、自身がリードするソン・サックスというグループを率いて返礼のコンサートを行った。その長き音楽活動を自ら称賛する最後のステージであった。
(コスタリカ●上野清士)


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