ニカラグアのロック歌手、アレハンドロ・メヒアに捧げられたライヴ

アレハンドロ・メヒア

アレハンドロ・メヒア

5月25日から3日、ニカラグアの首都マナグアで同国を代表するロックグループのコンサートが連夜に渡って展開された。そのイベントはアレハンドロ・メヒアに捧げれているものだった。メヒアという名で何かを感じられた読者がいたらメキシコを含む中米音楽への精通者だろう。
中米諸国の1970~1990年代は「中米紛争」として括られる騒乱の時代であった。ニカラグアはソモサ一族の軍事独裁に対する抵抗戦争が始まり、サンディニスタ革命によって戦いはいったん終息する。しかし、米国は中米諸国がドミノ倒しのように革命が連鎖してゆくことを憂慮し、隣国ホンジュラスから旧ソモサ派の軍人たちを先兵とする右派武装組織「コントラ」を軍事侵攻させた。
同国が戦いの困難な時代、民衆を励まし、“ギターを持ったゲリラ”として国内外で活動したのがカルロス・メヒア・ゴドイ、ルイス・エンリケ・メヒア・ゴドイ兄弟と、彼らの下に参加した一群のアーティストたちであった。
アレハンドロはそのルイス・エンリケの息子。アレハンドロ自身、父エンリケとともにわずか1歳で隣国コスタリカへ亡命、16歳まで母国に帰還できなかった。しかし、長じてアレハンドロが獲得した自己表現の音楽はロックであった。父たち世代のヌエバ・カンシオン、フ ォークロックといった民衆歌、抵抗の歌ではなかった。
アレハンドロの歌手としての活動は、わずか9歳で父の影響下で「戦いの季節における愛」という、いかにもメヒアの名を受け継ぐ子らしいシングルレコードの発表ではじまる。亡命の地コスタリカでの活動だ。
そして16歳で祖国に戻ると自らのグループを結成、キューバやコロンビアまで活動の場を広げてゆく。ロックに手を染めるのはまだ先のことで1991年、ネクロシスというバンドを立ち上げてからだ。それから、今日まで幾つかのグループを解散、再編成を繰り返しながら同国ロックを牽引してきた。
ロック・エスパニョーラの成功はメキシコ、アルゼンチンで際立っているが、中米でもグアテマラ、コスタリカ、ニカラグアで着実に生生流転していた。アレハンドロはその牽引役のひとりであった。
今回、改めて同国の若いロッカーたちに畏敬されていることを知り、ここに書き留めておこうと思った。
(ニカラグア●上野清士)


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