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ネルソン・ジャコビーナ、58歳の若すぎる死……

2012年6月1日 金曜日

ギタリストで作曲歌のネルソン・ジャコビーナ、58歳で亡くなる……木曜日の31日の午前6時45分に天に召された。癌が悪化し、日曜日から緊急入院していた。

オルケストラ・インペリアルの一員でもあるネルソンは15年間癌と闘っていた。ブラジル大衆音楽史上の偉大な人物の一人、ジョルジ・マウチネルとは1970年から共作関係にあった。この名コンビが生み出した名曲は「ラグリマス・ネグラス」「マラカトゥ・アトミコ」「アルヴォリ・ダ・ヴィダ」「サンバ=ジャンボ」など多数。もちろんジョルジ・マウチネルとの共作関係以外でも、ネルソンの作品はジルベルト・ジル、ガル・コスタ、レオ・ガンデルマン、シコ・サイエンス&ナサゥン・ズンビ、セーザル・カマルゴ・マリアーノ、アメリーニャなどのアーティストにレコーディングされてきた。

2000年代の活動で主なものをあげると、カエターノ・ヴェローゾ&ジョルジ・マウチネル『オレは謝らない』、ヴァネッサ・ダ・マタ『エッサ・ボネッカ・ナゥン・テン・マヌアル』、カシン+2『フューチャリズモ』、オルケストラ・インペリアル『カルナヴァル・ソ・アノ・キ・ヴェン』など。

担当医師によると、既に2年前から癌は肺に転移していたそうだ。先週末に急性呼吸不全に陥り、31日木曜日に帰らぬ人となった。名音楽家に合掌を。

ジャコビーナ

オルケスト・インペリアル。最前列向かって右側がネルソン・ジャコビーナ。

“ヴィヴァ・エリス”、DVDでリリース決定!

2012年5月28日 月曜日

月刊ラティーナ6月号でも、サンパウロ在住の仁尾帯刀さんの写真と文章でお伝えしている、マリア・ヒタの没後30年の母、エリス・レジーナに捧げるライヴ・プロジェクト“ヴィヴァ・エリス”。こちらのDVD化が決定!

そして、今までに4枚のアルバムと3枚のDVDを発表してきたワーナーミュージック・ブラジルからユニバーサルへとマリア・ヒタも移籍するようだ。“ヴィヴァ・エリス”はCD、DVD、ブルーレイでリリース予定で、同時に、マリア・ヒタは新作のレコーディングとリリースも予定している。マリア・ヒタのファンにとっては、2012年は嬉しいニュース続きだ。

ガル『ヘカント』サンパウロ公演はHSBCホール

2012年5月22日 火曜日

ガル・コスタが今週の木曜日・金曜日(5月24日・25日)、サンパウロで“正式に”『ヘカント』のレコード発売コンサートを行う。場所は、サンパウロきっての大バコであるHSBCブラジル。チケット代は100ヘアイスから240ヘアイスまで。コンサートはアルバム同様、カエターノ・ヴェローゾが監督を務めている。

“正式に”と書いたのは、『ヘカント』リリース後の今年3月、既にサンパウロのでコンサートを行っているからだ。〈クルトゥーラ・リヴリ・サンパウロ〉プロジェクトへの出演で、ジュヴェントゥーヂ公園での野外フリーライヴだった。HSBCホールでの公演は全く別のものになるだろう。カエターノも気合いが入っているに違いない。

“あまりにも前衛的”な『ヘカント』のレパートリーに加え、演奏される予定曲目は、ガルのキャリアを代表する曲の数々だ。「ベイビー」「ヂヴィーノ、マラヴィリョーゾ」「ヴァポール・バラート」「バラート・トタル」「ミーニャ・ヴォス、ミーニャ・ヴィダ」……そして、チン・マイアとの1985年のデュエットで有名な「ウン・ヂア・ヂ・ドミンゴ」。

「カエターノのアイデアよ。感動したわ。チンとだから録音したのよ」とガル。本番でもチンの声が流れることだろう。

2014年ワールドカップに黄信号!?

2012年5月21日 月曜日

スタジアム 建設中

2014年ブラジル・ワールドカップに黄信号!? 国際サッカー連盟(FIFA)が先日、競技場建設の遅延により、2014年のワールドカップ開催に危険信号がともっていると発表。大丈夫だと思うんだけどなあ……ここ一番の踏ん張りはスゴイですよ、ブラジル人は。

FIFA報告書によると、指定の期限内に建設の見通しがついているスタジアムは、ブラジル国内12都市で建設中のスタジアムの中でセアラ州フォルタレーザに建設中のカステラゥン・スタジアムのみ、としている。FIFAが特に工事遅延を懸念しているのが、リオグランヂドノルチ州ナタルに建設中のアレーナ・ダス・ドゥナス・スタジアムだ。指定期間内に工事が終わらないだけでなく、なんとワールドカップ開催までに間に合わないのではないかとしている。

ビデオを見る限り、非常に立派なスタジアムができそうなんですが……。マナウスのアレーナ・アマゾニア・スタジアム、マトグロッソ州クイアバ市のアレーナ・パンタナル・スタジアムは滑り込みセーフで、クリチーバのアレーナ・ダ・バイシャーダ・スタジアム、ポルトアレグレのベイラ・リオ・スタジアム、サンパウロのイタケイラゥン・スタジアムはどうにか間に合いそうだとFIFAは見ています。杞憂に終わることを祈ってます!

ミシェル・テローのシングルがビルボードのトップ100入り!

2012年4月6日 金曜日

 人気急上昇中のセルタネージョ歌手、ミシェル・テローのヒット曲「Ai Se Eu Te Pego」が米ビルボード誌のHot 100のチャートで95位になった。

 ビルボード誌は週刊誌で、その週のレコード店やインターネットでの売り上げ、ラジオのオンエア回数などを集計したチャート「Billboard Hot 100」(主にシングルが対象)と「Billboard 200」(主にアルバムが対象)を発表している。ちなみに、ブラジル人アーティストで他にHot 100にチャートインしたのは、セルジオ・メンデスで、1966年の「Mas Que Nada」で47位、1983年に「Never Gonna Let You Go」で4位になっている。またセルメンは1969年にもBillboard 200で3位に入っている。

 これを見ると95位とは言え、ブラジル人が米ビルボード誌のチャートに入ることは珍しく、快挙である。アメリカでもトップ・アーティストとして認められたミシェル・テローだが、ヨーロッパですでに成功をつかみ、大陸ツアーも経験済み。3月にはスペインで15週にわたってヒットチャートにとどまり続けて、表彰を受けた。

2011年7月にアップされてから現在までになんと2億7400万アクセス!!!

フレスノのベーシストが脱退

2012年3月31日 土曜日

 29日夜、フレスノがFacebookにてベースのホドリゴ・タヴァレスが脱退すると発表した。フレスノは1999年にポルト・アレグリで結成されたバンドで、2009年頃から国内の音楽賞ノミネートの常連組になるなど、頭角をあらわしてきた。

 ホドリゴは2006年からこのバンドに参加していたが、この度自身のソロ・プロジェクト「エステバン」の活動に専念するため、脱退することとなった。バンドは発表の中で、彼の脱退によって、これまでに公表しているニュー・アルバムやライヴの予定を変更することはない、と断言している。

 バンドメンバーが発表した声明は下記の通り。

“本日3月29日以降、ベーシストのホドリゴ・タヴァレスはフレスノとしての活動はいたしません。5年の活動期間のあと、タヴァレスはエステバン・プロジェクトというソロ活動に専念するため、フレスノを辞めるのです。これは彼自身の決断です。
これは悲しいニュースだったし、僕たちを驚かせました。でも、それが彼の夢のため、そして彼の心に従った結果であると僕らは断言できます。最高の愛を持って彼に言ってあげられることは、彼がすでに12年以上も持ち続けてきたその夢を応援するし、人々の人生を変えるような楽曲を通して僕らの生活を伝えていくよ、ということです。
私たち4人、ルーカス、ヴァヴォ、ベル、マリオは新曲をすでに録音していて、フレスノのニュー・アルバムを発表する予定です。またすでに発表しているすべてのコンサートはそのまま決行する、ということを強調したいです。このコンサートでは、しばらく演奏していなかった曲もやりたいと思っています。
僕たちのやっていることを信じ、僕たちの音楽と真摯に向き合ってくださっている皆さん、いつも本当にありがとう。そして、我らが兄弟、ホドリゴ・タヴァレスよ。君の旅路は長く、幸せで、そしてすごく美しいヴィジョンを君に見せてくれることだろうよ”

‪Fresno – Porto Alegre‬

ショーロの女王、アデミルヂ・フォンセカ、91歳で死去

2012年3月29日 木曜日

27日夜、「ショーロの女王」としてブラジル国内外から大きな人気を得ていたアデミルヂ・フォンセカが亡くなった。91歳だった。家族の話によると、彼女は心臓に関する持病をかかえており、27日に発作を起こし、そのままリオの自宅で息を引き取ったそうだ。

 アデミルヂは1921年3月4日、リオ・グランデ・ド・ノルテ州サン・ゴンサロ・ド・アマランテ生まれ。1942年にアルバム『チコチコ・ノ・フバー』をリリースし、それまで楽器で演奏されてきたショーロが、声でも表現できるのだと云う事を世に知らしめた。この曲の他にも「ブラジレイリーニョ」や「ペダシーニョ・ド・セウ(空のかけら)」(いずれもワルヂール・アゼヴェド作)など、ショーロの有名曲を多く歌った。

 奇しくも今年は『チコチコ・ノ・フバー』を発表してから70年。亡くなる前日には自身の芸歴70周年を記念した番組収録に参加していた。ご冥福をお祈り致します。T

2011年、ブラジル国内で最も売れたCDベスト20

2012年3月29日 木曜日

2011年にブラジルで最も売れたCDは? ブラジルレコード協会(アソシアサゥン・ブラジレイラ・ヂ・プロドゥトーリス・ヂ・ヂスコス=ABPD)が先日恒例のリストを発表。下記のような結果になっている。

カトリック、福音派、ポップ・セルタネージョ、ゴスペル、ブラジル国外のメインストリーム、そして日本はじめ諸外国でも有名なカエターノ、マリア・ガドゥ、マリーザ・モンチ、セウ・ジョルジ……と非常に順当なランキング。ABPDの発表によると、ブラジル国内での音源売り上げ(CD・DVD・ダウンロード)は、前年比で8.5%ほどの上昇。レコードが売れない……というのは大国ブラジルには関係ない言葉のようである。

第1位 パドリ・マルセロ・ロッシ『アガペ・ムジカル』(Sony Music)

第2位 パウラ・フェルナンデス『アオ・ヴィーヴォ』(Universal Music)

第3位 パウラ・フェルナンデス『パッサロ・ヂ・フォゴ』(Universal Music)

第4位 ルアン・サンタナ『アオ・ヴィーヴォ・ノ・リオ』(Som Livre)

第5位 パドリ・ホビソン『ノス・ブラッソス・ド・パイ』(Som Livre)

第6位 パドリ・ファビオ・ヂ・メロ『ノ・メウ・インテリオール・テン・デウス』 (Sony Music)

第7位 パドリ・ヘジナルド・マンゾッチ『ミリョンイス・ヂ・ヴォゼス・アオ・ヴィーヴォ(Som Livre)

第8位 アデル『21』(Sony Music)

第9位 ダマーリス『ダイヤモンド』(Sony Music)

第10位 カエターノ・ヴェローゾ&マリア・ガドゥ『ムルチショー・アオ・ヴィーヴォ』(Universal Music)

第11位 ビヨンセ『4』(Sony Music)

第12位 ヘベルヂス『ヘベルヂス』(Emi Music)

第13位 レディー・ガガ『ボーン・ディス・ウェイ』 (Universal Music)

第14位 マリーザ・モンチ『あなたが本当に知りたいこと』 (Emi Music)

第15位 ジャスティン・ビーバー『アンダー・ザ・ミスルトウ』 (Universal Music)

第16位 ルヂミーラ・フェルベル『ポデール・ダ・アリアンサ』(Som Livre)

第17位 ヴィクトル&レオ『アモール・ヂ・アルマ』(Sony Music)

第18位 セウ・ジョルジ『ムジカス・パラ・シュハスコ Vol.1』(Universal Music)

第19位 パドリ・ヘジナルド・マンゾッチ『エン・デウズ・ウン・ミラグリ』 (Som Livre)

第20位 エイミー・ワインハウス『バック・トゥ・ブラック』 (Universal Music)

ジェニファー・ロペスのブラジル初コンサート出演が決定

2012年3月27日 火曜日

 今年の6月にリオとサンパウロで開催されるポップ・ミュージック・フェスティバルの出演者第1弾が発表された。それによると、1番の目玉はブラジル初ライヴとなるジェニファー・ロペス!このほかに、若手ながら、人気急上昇のセルタネージョ歌手ミシェル・テローの出演も決定した模様。

 ポップ・ミュージック・フェスティバルは昨年初めて開催された新しい音楽イベントで、昨年はシャキーラやシマフッツ、ジギー・マーリーらが出演し、大いに盛り上がった。

 今年は6月23日にサンパウロのアニェンビ・アリーナにて、27日にリオのHSBCアリーナにて開催される。今後の出演者発表の続報も見逃せない!

‪Jennifer Lopez – On The Floor ft. Pitbull‬

セルタネージョ歌手、ジョアン・ミネイロ死去

2012年3月26日 月曜日

セルタネージョ歌手、ジョアン・ミネイロが24日、サンパウロ市内の病院で亡くなった。享年76歳。近年は糖尿病を患っていて、先ごろ胆のう切除の手術を受けたが(糖尿病患者は胆のう炎などになりやすい)、術後の経過が思わしくなく、集中治療室に入院中だった。

 ジョアン・ミネイロはユーモア作家として活躍していた70年代にジョゼ・マルシアーノとデュオ・グループ「João Mineiro e Marciano」を結成。80年代には何曲もヒットを飛ばし、テレビの冠番組も持っていて、後に続く世代に大きな影響を与えた。初めての録音音源をリリースしてから20年後の93年に解散したが、2008年にはマルシアーノとのデュオで久々の国内ツアーを敢行したところだった。これからデュオにとって二度目の活動期、というところだったのに残念だ。ご冥福をお祈り致します。T

‪Joao Mineiro e Mariano “Seu amor ainda é tudo”‬(いまだにあなたの愛がすべて)