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パブロ・ミラネス、キューバ政府からの圧力を否定

2011年10月3日 月曜日

キューバのトロバドール、パブロ・ミラネスが8月27日に初めてキューバの亡命者の拠点地マイアミで公演を行い(以前のニュース)、その際にキューバ政府が演奏曲の制限を行ったとして噂されていたが、1日、パブロ・ミラネス本人はその事実を否定した。

「海外プレスによって流布しているこのニュースは完全なる誤報だ。キューバ政府は私に対して検閲などしていない」とパブロ・ミラネスはウェブ版リブレ紙でコメントし、キューバ政府はパブロ・ミラネス個人の言論に「絶対なる尊重」を与えているとした。

現在、公演のためにドミニカ共和国に滞在しているパブロ・ミラネスは、先月29日に予定されていた記者会見に欠席し、国内で大きく非難されていることに対しては、「私は糖尿病を患っている。その日は朝9時からドミニカ行きの準備をしていて、ドミニカのホテルに到着するときには疲れ果てていて、とてもじゃないけど(記者会見に)臨めるような体調ではなかった」とコメントした。

個人の言論と表現の自由をとなえて、満を持してマイアミ公演を実現させたパブロ・ミラネス。世界的に名の知られる大スターだけにその行動のもたらす影響は大きい。しばらくキューバではパブロ・ミラネスの話題が飛び交いそうだ。tae

ロス・バン・バンがマイアミ公演でキューバ人亡命者に反抗

2011年9月22日 木曜日

今月12日にロサンゼルスで米国ツアーをスタートさせているキューバのサルサバンド〈ロス・バン・バン〉が、ツアーの一環として24日にマイアミ公演を行うと発表した。なおマイアミはキューバ革命後のキューバ人移民拠点地として知られる都市で、キューバを本拠地に活躍する〈ロス・バン・バン〉のマイアミ公演はキューバ人亡命者らに対する反抗を意味する。同様に先月27日にはパブロ・ミラネスが初のマイアミ公演を行い、キューバ国内でも物議を醸していたところ。(以前のニュース

「近隣国のベネズエラ人、ホンジュラス人、エクアドル人、プエルトリコ人、そしてキューバ人ももちろん、(コンサート当日は)色々な組織や国民がデモ活動することになるだろう。」そう述べるのはマイアミで反カストロ派グループを組織するビヒリア・マンビサ氏。コンサート当日は会場前で、〈ロス・バン・バン〉は「キューバ人コミュニティーを挑発するバンド」であると抗議するとしている。また、1999年に行われた〈ロス・バン・バン〉のマイアミ公演では、約5,000人の在米キューバ人が抗議に訪れた。

「キューバのミュージシャンが米国にくるのはそのためのマーケットが用意されているからだよ」と今回のプロモーターでもあり、8月にパブロ・ミラネスのマイアミ公演をプロデュースしたカンシオ氏。パブロ・ミラネス公演では満席には満たなかったが、約3,000人(ほぼキューバ人)が足を運んでいる。

〈ロス・バン・バン〉はフアン・フォルメルを中心に1969年に結成されたキューバで現在最もホットなサルサバンド。度々の来日も果たし、今回のツアーでは最新作『ラ・マキナリア』からのレパートリーを主に演奏する。tae

シルビオ・ロドリゲスがブエノス市の名誉ゲストに

2011年9月3日 土曜日

2日、キューバのシルビオ・ロドリゲスがブエノスアイレス市の「名誉ゲスト」として承認された。シルビオ・ロドリゲスは今年11月にアルゼンチン国内で公演を予定しており、その際に公式に称えられる。

「揺るぎない詩人であるロドリゲスは、世界中で知られる音楽ムーヴメント、ヌエバ・トローバの主要メンバー。現在もなお演奏活動を続け、多くの人々の心に刻み続けている」とブエノスアイレス市のフリオ・ラッフォ議員。ラッフォ議員は中道左派政党プロジェクト・スール所属で、シルビオ・ロドリゲスを「名誉ゲスト」に推薦した第一人者だ。

11月に予定されているアルゼンチン公演では、コルドバ(都心から北に700km)、ロサリオ(都心から北に300km)、ブエノスアイレスを巡演し、さらにウルグアイのモンテビデオでも公演予定。アルゼンチン公演は2009年以来約2年ぶりでとなり、2009年には演奏活動50年という節目を迎えている。tae

キューバがヒップホップの国際シンポジウムを開催

2011年8月2日 火曜日

 キューバが今月17日から21日にかけてヒップホップの国際シンポジウムを開催するとの発表が主催者よりあった。カナダ、アメリカ合衆国、フランス、ハイチやコロンビアのミュージシャン達を招いて行う予定だ。

 アメリカ合衆国からはラップグループのインティカナ、カナダを代表してルー・ピエンサとボックス・サンブー、ハイチからマケンディとエドゥが、コロンビアからはジェイソン&ルシアが参加することになっている。

 またブレイクダンスなどの、ニューヨークのアフリカ系アメリカ人のコミュニティーを生み出したアーバンダンスの実演も予定されている。

 「平和のためのヒップホップ」というスローガンの下に、70人以上のミュージシャン、グラフィティアーティスト、DJ、ダンサー、そしてヒップホップの専門家が集まり、そこでヒップホップ音楽や、その流れ、またダンスなどについて取り上げられる。

 年に一度行われるこのシンポジウムは、2005年から続いており、人種や政治、また暴力や、アーティストとしての方向性の普及についての意見交換を通し、それぞれの経験やコンサートを共有することを目的としている。

 キューバのラッパー達は、90年代にはキューバで一番人気のポジションを確立したキューバのヒップホップが、独特のスタイルを持っていることを主張している。アフロキューバンのリズムとジャズやレゲエ、ファンク、ソウル、そしてロック等が融合した結果生まれたものだ。

 世界的なヒップホップの動きを見るとここ数年でかなりエレクトロ化しているが、ラテンアメリカは今後どのような方向性を私たちに見せつけてくるのだろうか、注目したいものだ。Sa  


Vox Sambou/Lakay

チャベス大統領のお見舞いにマラドーナ氏!

2011年7月23日 土曜日

先月30日、ベネズエラのチャベス大統領が癌の摘出手術を受けていたことを発表し、世界中を驚かせる衝撃的なニュースとなったが(過去のニュースはこちら)、その後もキューバで癌治療を受け続けるチャベス大統領に22日、サプライズのお見舞い人が訪れた。

お見舞いに駆けつけたのはアルゼンチンの元サッカー選手ディエゴ・マラドーナ氏。チャベス大統領はツイッターで「ディエゴ・アルマンド・マラドーナが今日の午後にお見舞いに来てくれた。心から感謝している。フィデルと三人で一緒に過ごした。ありがとうよ!生きよう!」とマラドーナ氏の訪問を明らかにした。

マラドーナ氏訪問の同日、チャベス大統領は癌治療の再発防止のために受けている化学療法の第一段階が成功に完了したと報告。しかし、癌を完全に克服するためには新たな治療が必要であり、カラカスに帰国する日程は未だはっきりしていない。

マラドーナ氏とチャベス大統領は大の仲良しで、マラドーナ氏は元サッカー選手として何度もカラカスに訪れており、また政治行事にも自ら参加している。tae

フェスティバルの主催グループ、キューバ政府を訴え出る

2011年7月22日 金曜日

 キューバのフェスティバル『ロティージャ』の主催者たちが20日、キューバ政府を、彼らのイベントを乗っ取ったとして訴えた。合法的に「国家体制に基づいて」フェスを作り上げるという意味合いで、フェスティバル開催にまつわる法的な手順をしっかりと踏んでゆくためだ。『ロティージャ』はキューバでレイブ形式で行われる大規模なパーティーになる予定のようだ。

 このフェスティバルのディレクターであり創始者のマイケル・マトスは記者会見にて文化省に対し合法的な手順を踏むことを明らかにした。これは、文化省がレイヴを「道徳的に良くない、暴力的な事」だと考えている為である。

 マトスは『ロティージャ』の実行委員会の声明を発表し、その中で、このフェスティバルに「暴力的」と意見した政府に対し、著作権と知的所有権をめぐり訴え、フェスティバル側と国家機関との「話し合い」を求めた。

 『ロティージャ』をレイブ形式でにしようというアイディアが友達との間で浮かび上がったのは1998年のことで、その年にフェスティバルが入場無料で大規模なものになり、ハバナから約57キロメートルほどのヒバコア海岸にて開催されるようになった。2010年には8月中の3日間に開催され、2万人の来場者が訪れた。

 以前の形式のフェスティバルはエレクトロミュージック、フュージョン、ロック、パフォーマンスそしてキューバのアンダーグラウンドなアートが織り交ぜられ、それらは全て企業や在キューバ各国大使館、またセルビアの音楽フェスティバル『エグジット』の提供のもとで行われていた。

 主催グループは、音楽やオーディオヴィジュアルで世界中とつながっている若者のグループで、2006年の開催時には、セキュリティにあたる警察の配置や、水の供給、公共交通の強化など、物流に関する政府からの直接的な援助を得たと発表している。

 マトスはまた、ヒバコア海岸のある地区、マヤベケ地区の自治体より今年のフェスティバルは文科省と国の音楽研究所によって決められた期間に開催され、若者達は問題なくフェスティバルに来場するだろうと「非公式に」連絡が入ったことを明らかにした。

 マトスによると、『ロティージャ』実行委員会メンバーはその後、フェルナンド・ロハス文化副大臣の事務所で行われたフェスティバルに関する会議に招かれなかったが赴いた。しかし「丁重に追い出された」とのこと。

 エフェ通信社がその後ロハス副大臣とコンタクトを取ろうとしたが、文科省から旅行中だとの返答があった。またマヤベケ地区娯楽文化委員会のノエル・ソーサ委員長にもコンタクトが取れず、席を外しているとの返答があるのみ。

 「これは誹謗中傷で、さらに盗作でもある。この誹謗中傷、盗作は国際的レベルまで達するもので、そこに何万ものキューバの若者が楽しみに訪れるのを予想しながらそのようなことをした」と声明で強く訴えられた。

 マトスは、政府から公式には何の知らせもなく、またメディア上での政府からのきちんとした説明もない、現時点では思索や噂が頼りだとコメントした。またここ最近の12年間、フェスティバルの開催は何とか許されてきたが、キューバ政府に正式に認められてはいなかったため、開催に向けて物事を進める際、「お役所仕事」に立ちはだかられ、「難局」に処したこともしばしばだとか。文化省に対し合法的な手順を踏むにあたって、彼ら官僚は、ややこしい懇願書や登録証ばかりを必要とする書類主義だ、と説明した。

 これに比べ、日本は若者の自由なカルチャーに基づいたイベントができるありがたい環境だ。ただし資金さえあれば。Sa

2009年『ロティージャ』の様子

ブエナ・ビスタのギタリスト、マヌエル・ガルバンが急逝

2011年7月9日 土曜日

キューバのブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブのギタリスト/作曲家として活躍したマヌエル・ガルバンが7日、ハバナ市で息を引き取った。80歳だった。死因ははっきりとは分かっておらず、遺灰は8日に市内の墓地に埋葬される。

1931年1月14日にキューバのギバラで生を受けたマヌエル・ガルバンは、60年代にキューバで大きく人気を博した4人組男性コーラス・グループ、ロス・サフィロスをプロデュース。ガルバン自身はギタリストとして関わり、「5人目のサフィロ」として名を馳せることとなった。

そして1996年、ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブのプロジェクト・メンバーに。イブライム・フェレール、オマール・ポルトゥオンド、カチャイート・ロペス、コンパイ・セグンドなどとともに世界中をツアーすることとなった。

晩年はソロ活動も目覚ましく、2003年にはライ・クーダとの共作アルバム『Mambo sinuendo』においてその年のラテン・グラミー賞にノミネート、そしてその翌年には同じくラテン・グラミー最優秀ポップ・インストゥルメンタル・アルバムに選ばれた。

80歳という決して若くない年齢だが、昨年まで公で演奏活動を続けていたために、キューバでは衝撃的なニュースとして取り上げられている。また、シングルアルバム『Blue cha cha』が、間もなくスペインのレーベルから発売される予定で、悲しくもそれが彼の遺作となってしまった。合掌。tae

チャベス大統領ががん摘出を明らかに

2011年7月1日 金曜日

先日からベネズエラのチャベス大統領の動向がつかめずやっきになっていた合衆国のメディアを尻目に、自身によるがん摘出手術終了報告。さらにチャベス大統領にがんを告知したのはフィデル・カストロ前議長であったということも。ブラジルやアルゼンチンでも大きく報道されている。

チャベス大統領は30日、療養のため滞在中のキューバからベネズエラ国営テレビを通じて演説し、これまで明らかにしていた骨盤膿瘍の手術とは別に、がんの摘出手術を受けたことを明らかにした。

チャベス大統領は6月10日、外遊先から帰国途中、キューバで緊急手術を受けたが、帰国の見通しが立たず健康状態を巡り臆測を呼んでいた。

テレビ演説では「腫瘍を検査した結果、がん性の細胞が確認された」と説明。2度目の手術でがんの摘出に成功し、順調に回復していると強調した。ただがんの程度やベネズエラへの帰国予定などは明らかにしていない。

YouTubeの映像を見る限りでは、頬がだいぶこけた印象を受ける。ベネズエラ国内情勢、カリブ情勢、ラテンアメリカ情勢、世界情勢に大きな影響を与えるであろう、大統領自身によるがん摘出の告白だ。F

チャベス大統領、手術から順調に快復

2011年6月13日 月曜日

先週、キューバで骨盤膿瘍で緊急手術をしたベネズエラのチャベス大統領は、順調な快復を見せていると伝えた。また術後の経過も良好だとしている。

チャベス大統領は先週フィデル・カストロ氏と会談している際に骨盤を激痛が襲った。その前に訪問していたブラジルやエクアドルでもすでに痛みは感じていたようだったが、手術に緊急性が高かったことからハバナで手術をすることが決定した。

現在のところ術後の経過は順調で、本人からも「日に日に良くなっていることを実感している」とコメントを出している。

先月、チャベス大統領はジョギング中に膝を怪我していたが、その怪我との関連があるかは分かっていない。(d)

チェ・ゲバラの日記、新たに公開

2011年6月11日 土曜日

キューバのラティーナ誌によると、チェ・ゲバラ本人が書いた、ゲリラ闘争に関する重要な瞬間を書き留めたものをまとめた本が6月14日にハバナ市で発表される。
題名は『戦闘員の日記 エルネスト・チェ・ゲバラ シエラ・マエストラーサンタ・クララ 1956-58年』

写真と複写のページ40ページを含む全303ページにわたるこの本の公開は、エルネスト・チェ・ゲバラの生誕83周年記念も兼ねており、アジア・アフリカ・ラテンアメリカ人民連帯機構の協力とラテンアメリカの書籍・写真集の出版社「オーシャン・スール」「オーシャン・プレス」の協力によって実現した。

日記は1956年のグランマ号到着から1959年1月1日の勝利までの闘争の詳細が、最重要関係者の一人であるチェ・ゲバラによって語られている。
チェがゲリラ闘争に複雑に関わってくると、シーンによっては、深く踏み込んだ個人の見解は省いてある。そうすることによってゲリラ部隊の事実、そのカルチャー、アイデンティティー、また政治的文脈に迫った。

この日記が56年から59年について書かれていることから、すでに日本語訳も出版されている『ゲバラ日記』とは内容が少々違っている模様だ。Sa