‘アルゼンチン’ タグのついている投稿

マルビーナス戦争を描いたテレビドラマ・シリーズがスタート

2013年4月1日 月曜日

1982年にアルゼンチンとイギリス間でマルビーナス諸島(英語ではフォークランド諸島)をめぐって争われた、マルビーナス戦争。約50年ものあいだイギリスが占領していたマルビーナス諸島を1982年4月2日にアルゼンチン共和国軍が侵攻したとして、アルゼンチンでは毎年4月2日が「マルビーナスの帰還兵と戦死者の日」とされている。

その4月2日から、アルゼンチン国営放送ではマルビーナス戦争を描いたテレビドラマ・シリーズ『Combatientes(戦士たち)』(全13編)が放送されるようだ。テレビドラマではあるが、国立映画音響映像協会(INCAA)や民間企業からのバックアップを受けており、映画並みの仕上がりとなっている。

ストーリーはフィクションで、マルビーナス戦争に徴兵され頭部に銃弾を受けて亡くなったとされる実存したある若き工作員を軸に、テレビ界で人気の俳優ラウタロ・デルガードらが主役を演じる。

アルゼンチンが抱える未解決の戦争問題を直視した話題の社会派ドラマとなりそうだ。tae

メキシコ在住の歌手ディエゴ・ベルダグエル、「Volveré」新バージョンはアコーディオン奏者チャンゴ・スパシウクと

2013年3月30日 土曜日

メキシコ在住、アルゼンチン人歌手ディエゴ・ベルダグエルが自身のヒット曲「Volveré」の新バージョンを発表し、ビデオクリップを公開した。新バージョンにはアルゼンチン・フォルクローレのアコーディオン奏者チャンゴ・スパシウクが参加しており、ビデオクリップにも登場する。

ベルダグエルは「2人はお互いに名前だけは知っているという関係だったが、こうして一緒にものを作り上げることによりアーティスト間の友情が生まれた」とコメント。

ビデオクリップはブエノスアイレス州のカピージャ・デル・セニョールにて撮影された。20世紀初頭のアルゼンチンをイメージして撮影されたこのビデオ、ストーリーは離ればなれになる家族を描いたもので、そこにチャンゴ・スパシウクは突如として現れ、アコーディオンとともに消えるという不思議な役を演じる。Sa

ブエノスアイレスの象徴オベリスコと向き合う教皇の巨大写真

2013年3月29日 金曜日

ブエノスアイレスの象徴ともいえる、オベリスコの向かいの建物「デル・プラタ」の正面に、フランシスコ教皇の巨大写真が本日より飾られる。
教皇がブエノスアイレス州政府に献身したことに対する、州政府からのアンサーのようだ。

この巨大写真は長さが88メートルもある垂れ幕のようなもの。
「多くの人びとにオベリスコの前を通過する度に驚きと感激を与え、アート作品の展示に貢献していく」という理念の元に2008年よりスタートしたプロジェクト「アルテ・エン・エル・プラタ」の一環として展示される。

ブエノスアイレスの景色がまたひとつ変わり、そしてまたひとつポルテーニョたちの心を掴むのだろう。Sa

アルゼンチンのピアニスト、ヘラルド・ガンディーニ逝去

2013年3月25日 月曜日

アルゼンチンのピアニスト、作曲者、楽団指揮者として広く知られるヘラルド・ガンディーニが22日、76歳で亡くなった。
数ヶ月の入院期間の後リハビリを継続するために引越した、ブエノスアイレスのレコレータ地区にある自宅にて亡くなった。

コロン劇場での指揮者なども務めていたガンディーニ、アカデミックな立ち位置でも、それ以外でも巨匠の名にふさわしく、彼の死を知り多くのアルゼンチン音楽ファンは悲しみに暮れている。 オペラなどのアカデミックな音楽の作曲をこなすかたわら、古典タンゴの名曲 「ノスタルヒアス」や「エル・チョクロ」を名演奏で蘇らせたり、アストル・ピアソラの晩年の演奏形態のひとつである六重奏団のピアニストを務め、また一方ではフィト・パエスとも共演をするなど広い活躍ぶりをみせた。

アルゼンチンの新聞クラリン紙によれば、実のところガンディーニがピアソラに六重奏団のメンバーとして呼ばれたのは、90年代前半に日本に来るという目標のためであった模様。結果としてこの六重奏団は短期間で解散してしまい、ピアソラは92年に逝去、ピアソラとガンディーニが共に来日することはかなわぬ夢となってしまった。

ご冥福をお祈りする。Sa

ヘラルド・ガンディーニ「El día después de la lluvia」

フィト・パエスと共演「Muchacha ojos de papel」

アストル・ピアソラ六重奏団「アディオス・ノニーノ」

フィト・パエス、50歳の誕生日に小説作家としてデビュー

2013年3月22日 金曜日

先週50歳を迎えたばかりのアルゼンチン・ロック歌手兼ピアニストのフィト・パエスだが、この度初の小説『La puta que habla』を発売し、小説作家としてデビューを果たした。

この本は実は3年も前から発売が待ち望まれていたのだが、『Sobre el amor y la pasión』というエッセイの執筆に伴い、3年間世に出ることなく眠っていた。50歳の誕生日を期にめでたく発売となった。

フィト・パエス本人は「嬉しいよ、初めての小説だからね。狂いそうになるほど苦労もあったけど、完成までのプロセスを楽しむことができたよ。書いたものが紙の束になって製本されていく……音楽を作るのと同じくらい感動するね」とインタビューに応える。

この本の発売を追って、1989年までの作曲をまとめたアルバム『Sacrificio』、さらに、新たな作品『La vuelta en globo』が発売されるとささやかれている。

50歳という新たな節目を迎え、今まで以上に精力的な活動を見せるフィト・パエス。今後の動向が見逃せない。Sa

ラス・チカス・エン・コスキン・ロック2013(コスキン・ロック2013の女の子たち)

2013年3月21日 木曜日

今年も2月に、3日間にわたり行われた音楽ファスティバル、コスキン・ロック。アルゼンチンの新聞クラリン紙がそのコスキン・ロックに来場した女の子たちにフォーカスをあてたビデオをアップ。

フェスティバルはロック・ナシオナル、レゲエ、ヘビーメタル、ムルガやDJタイムなどの様々なジャンルのステージが設けられ、チャーリー・ガルシア、フィト・パエス、ペドロ・アスナール、ババソニコスその他多数が出演し大盛り上がりを見せた。

来年も開催されるとのことなので、はっちゃけた彼女らに会いたいあなたはもう、来年行くしかありません。Sa

ビデオ「ラス・チカス・エン・コスキン・ロック2013」

ネリー・オマール、最後のコンサートを企画中!

2013年3月18日 月曜日

今年7月で102歳を迎えるタンゴ歌手のネリー・オマール。なんと彼女の人生で最後となるコンサートを、誕生日の7月10日に計画しているという。

彼女は左手に火傷を負ってしまい、もうギターを弾くことはできない。「それでも、ギターを弾く友達がいれば私は歌うわよ。また国民の皆に楽しみを与えたいの」と意気込みを語った。

そしてその最後のコンサートでは、オラシオ・グアラニーやアルベルト・オビエドをはじめとする、彼女の愛する音楽仲間たちを迎えたいと考えていることも明らかにした。「もう私の親しかった友達の多くは亡くなってしまっているの。それでも友達のアダ・ファルコンがそうだったように、ひとりぼっちで人生の最期を迎えたくないの」

最後だと言われると悲しいが、彼女が夢に見る最高のコンサートを是非実現してほしい。Sa

息子の元へ……キルチネル母、92歳で逝く

2013年2月18日 月曜日

アルゼンチン第55代大統領(任期2003年5月〜2007年12月)として任務を務め、2010年に急逝した故ネストル・キルチネル元大統領の母マリア・オストイクが18日、92歳で逝去した。

高齢のため、地元リオ・ガジェゴスの生活から家族のいるブエノスアイレス市内へと居を移していたため、2010年の息子ネストルの死を受けて以来、ここ数年は長女(ネストルの姉にあたる)で現社会開発大臣のアリシア・キルチネルと共に生活をしていた。しかし、昨年11月は脱水症状で入院するなど、最近は体調不良の徴候もあったようだ。

マリア・オストイクは、チリ出身。クロアチア系移民の家系に生まれ、1945年までチリのプンタ・アレナスで育った。のちにカルロス・キルチネルと出逢い、結婚。上から、アリシア、ネストル、マリア・クリスティーナの3人の子宝に恵まれた。長女と長男を政治家に育てあげ、「政界で最も影響力のある母」として言われることもあった。

これまでメディアには顔を出したことはなかったが、ネストル・キルチネル元大統領を題材にしたドキュメンタリー映画(2012年アルゼンチンにて公開)ではじめて公の前に立ち、息子との想い出を語っている。

マリア・オストイクの亡骸は明日未明、息子ネストルも眠るリオ・ガジェゴスの地に葬られる。嫁にあたるクリスティーナ現大統領は、出張先のサンタ・クルスからブエノスアイレスに戻ったばかりであったが、葬儀へ出席するためとんぼ返りでリオ・ガジェゴスへ向かう予定。ご冥福をお祈り致します。tae

スピネッタ最後の作品は映画の中で

2013年2月9日 土曜日

アルゼンチン・ロック界を牽引し続けてきたルイス・アルベルト・スピネッタ。2月8日で没後1周年を迎えた。たくさんのミュージシャンが彼のオマージュコンサートを開催し、たくさんのファンが彼への想いを馳せた。そんな中、新たなニュースが。

彼が生前、自身の曲「Bajan」「Todas las hojas son de viento」(1973年のアルバム『Artaud』に収録)を映画のサウンドトラック用にアレンジし直していた。 ダニエル・ヒメルベルグ監督による長編映画『Antes』のためにアレンジされたもので、3月よりアルゼンチン国内で公開予定だ。またこの2曲以外の音楽は、同じくアルゼンチン・ロック界の重鎮フィト・パエスが担当している。

ヒメルベルグ監督によれば、彼がスピネッタに出会ったのは2010年10月、もともとフィト・パエスとこのサウンドトラックのレコーディングをパエス邸にて行っていた最中のことだったようだ。

映画のストーリーは、青年ナチョの人生がある出来事から2つに枝分かれしてしまうというもの。一方は友達、家族、そして恋人アナと過ごす平穏な人生、もう一方は暴力に染まった人生。アナへの愛だけが唯一の救いとなる……。

おそらくこれがスピネッタがこの世に遺した最後の作品といわれている。映画の中でまたスピネッタの音楽に出会えるのを心待ちにしているファンはどれだけ多いことか。Sa

映画『Antes』トレイラー(こちらはフィト・パエスやスピネッタとのレコーディング前に制作されたもの)

保育園での児童虐待事件、歌手ラウル・ラビエの孫娘も被害者か

2013年2月6日 水曜日

 5日アルゼンチンで、サン・イシドロの保育園トリビリンに勤める保育士たちが、児童虐待で逮捕された。
そしてその保育園に通っていたうちの一人が、なんと歌手ラウル・ラビエの孫娘だったのだ。2ヶ月間トラビリンへ通った。

 ラウル・ラビエはニュース番組に出演し、「身の毛のよだつ最低の映画のシナリオのようだ。自分の家族が虐待を受けていたかと思うと、心が痛む。おそらく保育士に手を挙げられたんだろう」とコメント。

 そしてこの保育園に通いはじめてからの孫の様子も語った。「よく泣くようになったんだ。お風呂に入れようとするとやけに反応したり、両親や私を急に殴りはじめたこともあるんだ。最初はそれを保育園の友達の影響かと思っていたんだ」

「虐待を訴えた親御さん達には最後まで諦めないで欲しい。そしてこの保育園は閉鎖されるべきだ」との意見を述べた。Sa