‘ニュース’ カテゴリーのアーカイブ

相次ぐリリックを巡る裁判 事実を批判的に語ることは犯罪か?

2018年3月5日 月曜日
Pablo Hasél『Resistir hasta vencer』(2016) 「Juan Carlos el Bobón」が収録されたアルバム。 フリー・ダウンロードで入手できる。

Pablo Hasél『Resistir hasta vencer』(2016)
「Juan Carlos el Bobón」が収録されたアルバム。
フリー・ダウンロードで入手できる。

スペインでの表現の自由の規制に関しては本欄でも何度か取り上げてきたが、昨年末からまた重要な事案が続いている。昨年12月にはリリックがテロ称揚にあたるとラップグループLa Insurgenciaのメンバー12人に懲役2年と1日及び約64万円相当する罰金の判決が下った。求刑に1日が加えられているのは執行猶予(懲役2年まで)を避けるためだ。続いて1月末には、昨年2月に全国管区裁判所が下した懲役3年半の実刑判決(テロ称揚及びテロ犠牲者の侮辱、王室不敬罪)を不服として最高裁に上訴したラッパーValtònycの公判が行われ、2月1日にはメディアが大きく取り上げる中でPablo Hasel(パブロ・ハセル)の2つ目の裁判がメディアが始まった。
リェイダ(カタルーニャ)出身のハセルは自主制作作品をネットで公開するほとんど無名のラッパーだったが、リリックが原因で逮捕されたスペインで最初のケース(2011年10月)となったことで、その名前と作品が広く知られることになった。この件では最高裁まで争って2015年2月にテロ称揚罪で懲役2年刑が確定したが、執行猶予となる。「共和主義のコミュニスト」を自認するハセルは、逮捕後もラップやツイッターを通じた政治的なメッセージの発信を続けて再び逮捕。2回目の逮捕の罪状はツイートとリリックが「テロ称揚、王室及び国家機関に対する名誉毀損と不敬罪」に当たるというのもので、懲役2年9カ月と550万円相当の罰金が求刑されており、刑が確定すれば実刑は免れず、罰金を支払えなければ刑期はさらに7年まで伸びる可能性がある。
今回検察が問題としたリリックは前国王フアン・カルロスの足跡を辿る「Juan Carlos el Bobón」で、「マフィアのような」「泥棒」といった表現が名誉毀損や不敬罪に当たると主張している。これに対して、全国管区裁判の公判に姿を現したハセルは「エミネムには米国大統領の殺害を語るリリックがあるが、このような弾圧を受けたことはない」と反論した。ハセルのケースがこれまでにない大きな注目を集めているのは、「カタルーニャ共和国」の独立宣言が行われ、共和制支持派にとっての共和制実現が新たな局面に入った中で、君主制批判を「王室不敬罪」で封じ込めようとする検察の動きに人々の関心が集まっているためでもあろう。何れにしても、 リリックを巡る一連の裁判は、現在の司法制度では「事実を批判的に語ることも犯罪になりうる」という、スペインにおける表現の自由の危うさを突きつけている。(バルセロナ●海老原弘子)


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サンバ界のレジェンド、ネルソン・サルジェントがYouTubeのチャンネルを公開

2018年3月1日 木曜日
サンバ界のレジェンド、ネルソン・サルジェント

サンバ界のレジェンド、ネルソン・サルジェント

現役最古参のサンビスタとしてエスコーラ・ヂ・サンバ、マンゲイラに所属し、マンゲイラ独特の詩情溢れるサンバを今に伝える、今年93歳のサンバ界のレジェンド、ネルソン・サルジェントが、独自のアトリエとなるYouTubeの動画共有サービスによって、サンバ界の未来に種を蒔こうとしている。
1月23日(火)、リオのコパカバーナ・ビーチに面し、南アメリカでもっとも有名なホテルのひとつである〝コパカバーナ・パレス〟で、YouTubeのチャンネル公開発表パーティーが行われた。チャンネル名『Nelson Sargento com Vida』には二重の意味があり、日本語では「命あるネルソン・サルジェント」と「ネルソン・サルジェントが招く」という表現になるだろうか。動画で過去の想い出、未公開の新コンビとの共演、彼の日常生活などを紹介する。芸能生活80周年を迎え、歌手としてのみならず、作家として、役者として、画家としての記録を辿り、ルーツを知ってもらう、というものだ。このパーティーに招待された約150名の中にはプレッタ・ジルやプレチーニョ・ダ・セヒーニャ、バテリア・ダ・マンゲイラ、そして私自身も所属しているMulheres de Chico(シコの女達)がいた。ネルソン・サルジェントをオマージュし、この夜の宴会パーティーで彼を賞賛した。マンゲイラのバテリアが、あの抜群のスイングで怒涛のサンバを刻みマンゲイラの名曲を演奏し始めると、ステージ前に腰をしっかり据えていたネルソンが一気に立ち上がり、マイクを握りしめ、名曲サンバを歌い出した。バテリアの青年達が熟練ネルソンと見せた輝かしいコンビネーションプレーは、観客の胸を熱くした。ステージ最後を務めたトリ、Mulheres de Chico(シコの女達)の女性ミュージシャンがネルソンを囲んだ瞬間、「これじゃあ、俺はシコ・ブアルキに嫉妬するよ!Mulheres de Nelson(ネルソンの女達)を結成してくれなきゃね!」とユーモアたっぷりに無邪気な笑顔で冗談を言っていたのがとても印象的だ。
すでにこのチャンネルは一般公開されており、ヴェーリャ・グアルダ・ダ・ポルテーラを率いるサンビスタ偉人、Monarco(モナルコ)とのインタビューや、過去に公開されたドキュメント番組などが見られる。招待客の全ての人々に陽気な笑顔で対応しながら「真の幸せとは、人生において心の花束を捧げてもらうことだよ。」と呟いていた、ネルソンの新しい命がこのチャンネルに宿るのだ。
ネルソン・サルジェントのチャンネル
www.youtube.com/user/NelsonSargento1
(リオデジャネイロ●MAKO)


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ますます熱いポルトガルジャズシーン ホット・クルービとマノ・ア・マノ

2018年2月25日 日曜日
マノ・ア・マノ 公式サイトからアルバムの視聴や購入が可能。ライヴ写真や自宅セッション動画も公開されている。 https://manoamanosantos.weebly.com

マノ・ア・マノ
公式サイトからアルバムの視聴や購入が可能。ライヴ写真や自宅セッション動画も公開されている。
https://manoamanosantos.weebly.com

ヨーロッパ最古のジャズクラブがどこにあるか、皆さまご存知だろうか。実は、ポルトガルの首都リスボンに存在するのである。そのクラブの名前は、ホット・クルービ・デ・ポルトガル(Hot Clube de Portugal)。
1948年リスボン中心部のリベルダーデ通りに面した歓楽広場にジャズ愛好家達の社交場としてオープン。1979年には付属教育機関としてルイス・ヴィラス=ボアス・ジャズスクールが開校。ブルーノ・ペルナーダス、ジョアン・ハッセルバーグをはじめ、日本でも話題の若手ジャズミュージシャンの殆どがこのスクールの卒業生であり、ジョアン・バラーダスやサルヴァドール・ソブラルもここで研鑽を積むなど、オープン以来ポルトガルジャズシーンの中心として存在してきた。長い歴史の中で、経営不振や火災によるクラブ全焼など、何度も閉鎖の危機に直面したが、リスボンっ子達や世界中のジャズファン、そしてリスボン市の支援により、ついに今年創立70周年を迎えることとなった。記念イベントや特別ワークショップなどの開催が予定されており、話題に事欠かない一年になりそうだ。
そのホット・クルービ周辺で今年注目のアーティストが、マデイラ島出身のジャズギタリスト兄弟、ブルーノ・サントスとアンドレ・サントスによって結成されたマノ・ア・マノ(Mano A Mano)だ。ウクレレやカヴァキーニョのルーツである、マデイラ島の伝統楽器ブラギーニャを用い演奏するのは、オリジナル楽曲の他、セロニアス・モンクやトム・ジョビンらによるジャズやボサノヴァの定番曲。どこか懐かしいブラギーニャの素朴な音色、それでいて洗練された楽曲展開は、彼ら兄弟の高い技術に裏打ちされているからこそ心地よく、新しく響く。それもそのはず、兄ブルーノはホット・クルービ専属セクステットのギタリストを務める傍ら、付属ジャズスクールの教頭を務め、リスボン音楽院などで教鞭を取る教育者として活躍。弟アンドレもアムステルダム音楽院のマスター課程を修了し、マドレデウスのヴォーカリスト、テレーザ・サルゲイロのソロワールドツアーに帯同するなど、両者とも現代ポルトガル屈指の名ギタリストである。ポルトガル国外でも注目され始めており、アメリカのジャズ専門誌ダウンビートで特集記事が組まれ、ニュースサイトObservadorの選ぶ「2018年必聴のポルトガル音楽12選」のひとつに選出されるなど、見逃し厳禁であることは間違いない。(ポルトガル●山口詩織)


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フジモリ元大統領恩赦に対し アーティストや文化人は反対を表明

2018年2月22日 木曜日
リマ市内の4回目の抗議デモで、手作りのプラカードを手に行進する市民。

リマ市内の4回目の抗議デモで、手作りのプラカードを手に行進する市民。

昨年12月24日に発表されたフジモリ元大統領恩赦のニュースは、日本でも多くのメディアが取り上げたため、ラティーナの読者もご存知だろう。
元大統領は、2007年に収賄や権力乱用などの罪で禁錮6年、さらに2009年には、人権侵害などの罪で禁錮25年の有罪判決を受け、これまで警察施設に設けられた特別な収容所で収監されていた。クチンスキ現大統領が政権に就いてから「恩赦が行われるのではないか」という噂は何度もあったが、その度に現大統領は否定し、アラオス首相も直前まで「恩赦はない」との声明を出していた。それにも関わらず、実行されたのである。
今回の恩赦は、『政治的取引』によるものとの認識が一般的だ。それというのも、ブラジルの建設大手オデブレヒト社を巡る汚職事件でクチンスキ大統領への疑惑が浮上し、フジモリ元大統領の長女のケイコ・フジモリ率いる「フエルサ・ポプラル党」が昨年12月に罷免決議案を提出するも、採決の21日に同元大統領の次男のケンジ議員ら10人(同政党所属)が棄権票を投じ、罷免を免れていたからだ。
恩赦が発表されたのは、クリスマスイブの夕方だった。カトリック信者が圧倒的に多いペルーでは、翌25日は一年の中でも最も重要な祝日とされ、大多数が家族と一緒に過ごし、キリストの誕生を祝う。しかしながら、両日ともに、恩赦のニュースを聞きつけた大勢の市民が、セントロ地区に集まりデモ活動を行った。さらに、28日は約1万5千人が、年が明けた1月11日には3万人以上が集結しデモ行進を行い、恩赦の無効と現大統領の退陣を求めた。
こうした抗議の声は、アーティストやその他の文化人からも挙げられている。作家では、バルガス・リョサが今回の恩赦を「違法で無責任な行為」と批判し、アルフレド・ブライスやフェルナンド・イワサキなど、230人が反対を表明している。また500人を超えるミュージシャンや200人以上の映画制作関係者、600人以上の造形美術アーティスト、さらに歴史家や心理学者、社会学者など、反対の署名は、数千人を数える。
コスタリカに本部を置く米州人権裁判所は、2月現在、被害者遺族の申し立てに基づいて恩赦の適法性を審理している。判決次第では、同裁判所がペルー政府に恩赦の取り消しを求める可能性もあるとされている。また、ペルー議会では、再びクチンスキ大統領の罷免要求が提出されていることから、今後の行方が注目される。(リマ●川又千加子)


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ブラジル音楽にとって複数の記念年、2018年!

2018年2月19日 月曜日
V.A. 『Tropicália ou Panis et Circensis 』(1968)

V.A.
『Tropicália ou Panis et Circensis 』(1968)

今年、2018年はブラジル音楽にとって重要な年である。これから紹介することなくしては、現在のブラジル音楽はないと言ってもいいだろう。
◆ジャコー・ド・バンドリン生誕100周年
近代的なショーロを完成させたと言われる、ショーロ名門グループ、エポカ・ヂ・オウロの創立者であるジャコー・ド・バンドリン。ミュージシャンとして初めて演奏した楽器はバイオリンだったが、彼が青年だった頃、独学でバンドリンを勉強したこともあり、すぐにバンドリンを弾き始めた。1930年代にバンドで活動を開始し、1940年には、作曲家として活動していた。バンドリンを演奏するブラジルのスタイルが確立された1960年に、彼は作曲家・編曲家・ミュージシャンとして名誉ある人となった。このようにして、彼はブラジル音楽史に名を残したのだ。
◆トロピカリア50周年
1968年、カエターノ・ヴェローゾとジルベルト・ジルを中心に勃発した文化ムーヴメントである。自分たちの音楽を表現し、保守的だったブラジル音楽界に革命を起こしたのだ。彼らを中心にガル・コスタ、オス・ムタンチス、ヒタ・リー、トン・ゼー、ナラ・レオンなどのアーティストが集まって作られた、コンピレーションアルバムであり、歴史的な運動の表明アルバム『Tropicália ou Panis et Circensis』 がリリースされた。アルバムジャケットを見てもわかるように、ブラジルの音楽・詩の業界での重要人物がこのように一度に集まったことも歴史的な出来事である。トロピカリアは、ブラジル音楽に大きな影響を与えた。
◆ボサノヴァ誕生60周年
ブラジル音楽界で1958年は決して終わることのない年だと言われている。なぜなら、1958年はブラジル音楽界での最も重要な革命である、ボサノヴァが誕生した記念すべき年だからである。学生とアーティストが集中していたリオデジャネイロで、サンバとジャズのリズムが統合し、ボサノヴァが生まれた。ブラジルに留まることなく、世界中に知れ渡った。日本では、小野リサを筆頭にボサノヴァが広がり、人気となった。レストランやバーなどのBGMとして使われていることが多く、ボサノヴァを街で聴かない日はないほどである。世界的に有名な映画やドラマの配信サイトNetflixでは、60年代のリオデジャネイロを舞台にボサノヴァの文化革命とボサノヴァがどのようにして生まれたのかという内容のシリーズドラマが配信予定であり、今年の初旬に撮影が始まるようだ。
ブラジルではもちろん、日本でも記念イベントが多く行われるだろう。これからのブラジル音楽のさらなる発展に期待する。
(ブラジル●編集部)


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中米地峡国パナマ、ワールドカップ初出場が決定!

2018年2月16日 金曜日
パナマ 対 トリニダード・トバゴ戦の一部

パナマ 対 トリニダード・トバゴ戦の一部

ロシアW杯の予選の対戦相手が決定した。今大会に2か国が初参加した。北欧のアイスランド、そして中米地峡国のパナマだ。
総人口が335万ほどしかないアイスランドが強豪国犇めく欧州予選から抜け出したのは奇蹟的なことだが、それ以上の番狂わせが北中カリブ地域からパナマが初出場を決めたことだ。パナマも総人口はわずか400万だから都民の3分の1ほどでしかない。しかも、パナマはアイスランドとは違って元来、国民的スポーツは野球だ。近年、周辺諸国の影響を強く受けているとはいえ野球に人気がある。
首都パナマ・シティなどにあるスポーツ・バーなどで観戦されているのは米国のメジャー・リーグ。パナマから日本のプロ野球に今日まで8選手が出稼ぎに来ている。野球国なのだ。ちなみに、サッカーJリーグへは過去3選手しかパナマから来ていない。つまりアイスランドよりさらにサッカーの競技人口は少ないのだ。
おなじ中米地峡国でサッカー国のグァテマラやベリーズが出場を果たしていない事実を知るとき、さらに今回のパナマ出場は偉業としかいいようがないし、出場定番国の米国と競い、それを退けて駆け上がってきたのだ。
W杯への出場が決まった翌日をパナマのバレラ大統領は、一日限りの特例とはいえ、「パナマの歴史的な日として祝福しよう」と10月11日を「国民の休日」とした。パナマにとって、そうした「休日」はパナマ運河が米国施政からパナマに返還された1999年12月31日から2000年1月1日以来だ。
ラテンアメリカ諸国で野球の盛んな国は皆、米国に長い従属を強いられてきた国だといわれてきた。今も自治領として独立を果たせていないプエルトリコ、米軍の軍事占領を受けてきたドミニカ共和国、米国の傀儡大統領を戴いてきたキューバ、米国の弁護士を大統領に就かせたニカラグア、石油の富を奪われつづけたベネズエラ、そして運河と両岸の広大な地域を支配されてきたパナマ、みな例外なく野球国となった。だから、そんな野球国からW杯への参加を実力でもぎ取ったパナマは米大陸諸国の文化的転換ともいえる快挙だ。
W杯では毎回、出場国をサポートする応援歌(音楽)を収録したCDアルバムが制作され、ほぼ全世界で発売される。かつて、アルゼンチン の応援歌に日本の宮沢和史さんの「島唄」(アルフレッド・カセーロ歌)が選ばれたことがあった。パナマは今回、そこに初めて加わるわけだ。パナマの民俗的音楽バジェナードかクンビアか、はたまたパナマ出身、サルサのルベン・ブラデスが一曲提供するか…そんな愉しみもある。
(パナマ●上野清士)


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「公共テレビに音楽番組を!」 ヘビメタボーカリストの願い

2018年2月13日 火曜日

 

カチートスに出演したペレス・クルスは『ランバダ』をカバー。

カチートスに出演したペレス・クルスは『ランバダ』をカバー。

ヘビーメタルバンドLujuriaのボーカルであるオスカル・サンチョが「公共テレビに質の高い音楽番組を!」というキャンペーンの発起人となり、ネット上で賛同の署名を集め始めたのは昨年8月のことだった。というのも、80年代の『ムシカ・エクスプレス』からレギュラー枠で若者向け音楽番組を放送していたTVE(スペイン公共テレビ)では、2006年末に『ムシカ・ウノ』の終了以降、現在の音楽シーンを伝える番組が姿を消してしまったからだ。その一方で、TVEが力を入れているのが2001年に始まったスター発掘養成番組とリアリティショーを融合した『OT(オペラシオン・トリンフォ)』。TVEが放送する欧州の国別対抗歌合戦『ユーロビジョン』の代表選考の場ということもあり、看板番組の一つとなったOTはすでに9年目に突入している。署名を募るメッセージでサンチョは「音楽はコンクールや競争の対象と化してしまった。そこでは〝新たな才能たち〟が、不健全さや口喧嘩、視聴率を競うという音楽以外の目的で歌を利用する」と嘆く。「もはや音楽は文化でも、娯楽の中心でもないのか?」と問いかけるサンチョに賛同する署名は今年に入って1万五千に達した。
 『ムシカ・ウノ』打ち切りの理由は視聴率低下とされたが、テレビ全般の視聴率が下がっている状況では、音楽番組の数字だけが突出して悪いわけではない。例えば、同局の第二チャンネルLA2で2013年秋から放送されている『カチートス・デ・イエロス・イ・クロモ』。キコ・ベネノの歌詞から取った番組名はカセットテープを意味し、当局のアーカイブに残る国内外のミュージシャンの映像を「眠らないための音楽」「愛の歌(とギター)」などテーマ別に編集して紹介する番組だ。音楽シーンの動きを振り返ることで社会や風俗の変遷も概観できることから、娯楽カルチャー番組として地味ながらも一定の支持を集めてきた。今回大晦日の四時間特番では過去の映像を発掘するという原則をはずして、フリオ・イグレシアスやエル・ウルティモ・デ・ラ・フィラの往年のヒット曲をエストーパやラブ・オブ・レズビアンといった若者に人気のミュージシャンがカバーするという企画を第一部に加えて放送。裏で放送された大物歌手アレハンドロ・サンツの特番を抜いて視聴率第三位という大成功に終わっている。サンチョが言うように、音楽が競争のツールとなった番組ではなくて、音楽そのものを楽しむ番組を見たいという人々がそれなりの数いることは間違いないようだ。
 スペインでは国民党ラホイ政権の行き過ぎた公共放送への介入が問題となり、公共放送の役割が改めて問われるている。草の根からのイニシアチブがTVEの番組編成に影響を与えられるか興味を持って見守っている人々は少なくない。
(バルセロナ●海老原弘子)


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ブルターニュの重鎮、ジル・セルヴァが新譜をリリース !

2018年2月8日 木曜日
GILLES SERVAT  『70 ans …. à l’Ouest !!!』(2017)

GILLES SERVAT
『70 ans …. à l’Ouest !!!』(2017)

2年前、70歳を迎えたジル・セルヴァに新しいアルバムのアイデアがわいた。題して『70 ans …. à l’Ouest !!!』。日本語に直訳すれば『70歳… 西にて!!!』。西とはフランスの西、つまりブルターニュのことだが、もうひとつ、西は突拍子もないことをやり出し、普段とはちょっと違った精神状態であることを表すらしい。ブルターニュのコープ・ブレーズよりこのアルバムを発表したのが昨年6月。お披露目ツアーはブルターニュを中心に今年一杯続く予定だ。1971年に『白いアーミン』でレコードレビューしたジル・セルヴァはこれまでに20数枚のアルバムを発表してきた。
ブルターニュ南部のナント出身の両親のもと、スペインとの国境ピレネー山脈に近いタルブで生まれたジル・セルヴァはフランス中部のショレという町で育った。アンジェの美術学校を卒業したあとパリに出た。時は1968年のパリ五月革命の後でもあった。モンパルナス駅のあたりは今もブルターニュ人が多く住む界隈だが、当時はブルターニュ人たちが集まっては白熱した議論を展開していた。彼らの心の拠り所でもあった「ティ・ジョス」の店で70年春に初めて『白アーミン』を披露したのがその後45年以上にわたる芸歴のスタートであった(本誌2006年3月号にインタビュー記事掲載)。ブルターニュ語を初めて耳にし、その詩の響きに魅せられたのは69年にロリアンの沖に浮かぶグロワ島に渡ってからだ。1971年に始まったロリアン第1回フェスティバル・アンテルセルティックにジル・セルヴァはアラン・スティーヴェルらと共に出演している。
12曲収録された本盤には「マイノリティの言葉」と題するメドレーがある。ブルターニュ文化とブルターニュ人にとって不可欠なアイデンティティ、それはブルターニュの言葉だという確信で、ブルターニュ語の「イエズー・ビハン」とブルターニュ東部方言のガロ語で歌う「デプティット・パルルマン」だ。そして「メドレー・ブレース」ではブルターニュ語の「メ・ガルジュ・ブー」と74年の「ツバメ」や91年の「ケンペールの道」の歌詞を変更してリメイクされ、今のブルターニュに敬意を示すべく壮大なひとつの曲に仕上げている。最もロック的な曲、82年の「グロ・プランとミュスカデ」も新アレンジで収録。タイトルにあるふたつの白ワインの名はナント市内の地区の差を皮肉ったものだ。
今までジル・セルヴァが語ることの少なかった幼年期の思い出も「僕の子供時代のショレ」で淡々と回想している。最後の収録曲はファンに感謝の気持ちを表す意味で98年の「僕の心の中に」をしっとりと歌い上げる。その深い低音が心の隅まで染み渡る。本盤はいわばジル・セルヴァの人生を総括したアルバムともいえよう。(パリ●植野和子)


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フレーヴォ作曲家カピーバ、没後20周年

2018年2月4日 日曜日
Carnaval de Capiba 『1 - Capiba 25 Anos Do Frevo』(1980)

Carnaval de Capiba
『1 – Capiba 25 Anos Do Frevo』(1980)

本名ロウレンソ・ダ・フォンセッカ・バルボーザ(1904〜1997)と言われてもピンとこないが、芸名カピーバとなれば、知名度はぐんと高まる。とりわけ出身地ペルナンブーコでは、故郷が生んだ最も愛される作曲家として知られているからだ。例えば、『大邸宅と奴隷小屋』などの著作でブラジル社会論を国際的に広めた社会人類学者ジルベルト・フレイリは、「カピーバは我らがもの。われわれのペルナンブーコ魂そのものであり、すなわち、その生き様こそ混じり気なしの真正ブラジル人のものだ」と書き記したほどだ。
そんな彼が、93歳の長寿を全うして亡くなったのが1997年12月31日だったから、2017年の大晦日がカピーバ没後20周年の日となったのだ。
ちなみに、その2か月前の10月、彼が1948年から50年近く住んでいた一軒家が空き家となって売りに出された時、幸いなことに州知事の決断でペルナンブーコ州歴史遺産に認定されたのだった。もっとも、ゼジータ未亡人は不動産売却収入が必要と反対したのだが。
改めてフレーヴォをおさらいしておくと、文献(地元紙)に始めて登場したのが1907年だったので、この年が「フレーヴォ元年」と認知されているが、当初は、カーニバルのマルシャ(行進曲)で即興メロディーのみの歌詞なしだった。それが1930年代にフレーヴォ・カンサゥンという現在のスタイルに進化していく。この新生フレーヴォの立役者が作曲家カピーバ(カピーバとは頑固親父のあだ名)であった。フレーヴォの歴史上画期をなした名曲“エ・デ・アマルガー(直訳:やってられねー)”は1934年の作品だが、彼は生涯で200曲以上も作曲しており、そのレパートリーはサンバやクラシックまでカバーしている。また、マヌエル・バンデイラ、ジョアン・カブラル・ヂ・メロ・ネト、カストロ・アルヴェスといった有名詩人たちの詞に曲を付けたことでも知られる。
彼は、バンドのリーダーだった父親のDNAを受け継ぎ、8歳でホルン、12歳でピアノといくつもの楽器を自在に操ったが、成人してからは昼間はブラジル銀行のキャリア銀行員として定年まで働き、30歳で名門レシーフェ法科大学を卒業、と二足の草鞋を履き続けた“ブラジル版小椋佳”であった。
作家アリアーノ・スアスーナが1970年から展開した「アルモリアル(名誉回復)運動」という大衆文化復興運動にコミットした中心人物の一人でもあった。だからこそ、社会史の泰斗フレイリが高く評価することになるわけだ。
(レシーフェ●岸和田 仁)


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充実のポルトガル音楽シーン2017、国内メディアはどう見たか?

2018年1月31日 水曜日
ユーロヴィジョン2017で優勝した時のサルヴァドール・ソブラル

ユーロヴィジョン2017で優勝した時のサルヴァドール・ソブラル

先月号『2017年ベストアルバム』の項でも触れたが、ポルトガル音楽シーンは全ジャンル全方位に大充実の一年であった。年末にかけて各メディアが国内の音楽シーンを総括したベストアルバムのリストを発表したが、媒体により選出作品や順位が大きく異なっており、2017年を代表するに相応しい作品が多かったことを物語っている。当欄では主要メディアの選んだ最優秀作品を中心に、いくつか紹介していこう。
国営ラジオ局アンテナ3が選んだベストアルバムはラッパー、スロウJのデビューアルバム『The Art of Slowing Down』。シングル曲「Vida Boa」はYoutubeで200万回再生され、街中でもよく耳にした昨年の大ヒット曲だ。今作がデビューアルバムではあるが、レコーディングエンジニアとしてロンドンで修行し、帰国後は人気歌手のレコーディングなどに携わってきた裏方出身だけあり、その完成度は高い。一方で、国内唯一の音楽誌ブリッツが最優秀アルバムに選出したのはエレクトロポップの覆面二人組エルモの『Lo-Fi Moda』。内省的な泣きのメロディとポルトガル語詞に絡む実験的な音響は、英語圏のエレクトロシーンにも呼応する。そして日刊紙プブリコは国内外の作品混同の総合ランキングを発表しており、国内アーティストの最高位は女性ファディスタ、アルディナ・ドゥアルテの七作目となる『Quando Se Ama Loucamente』の2位。
また、各メディアのランキングで必ず上位に名前が挙がり、インディー系メディアで多く一位を獲得していたのが、男性SSWルイス・セヴェーロが自身の名を冠した作品『Luís Severo』。ギーク風の個性的な外見や一度見たら忘れないMVとポップなメロディから、ゼカ・アフォンソやセルジオ・ゴディーニョら、ポルトガルSSWの系譜に新たに名を連ねる逸材として要注目の存在だ。同じくSSWものでは、男性SSWベンジャミンがロンドン在住時に知り合った英国人男性SSWバーナビー・キーンと共作し英語・ポルトガル語詞半々で構成された宅録ポップアルバムの『1986』も多くランクインしていた。
音楽シーンの出来事としては、昨年ポルトガルで最もグーグル検索されたキーワードがユーロヴィジョン2017で優勝した歌手「サルヴァドール・ソブラル」であったことからもわかるように、この初優勝は社会現象であった。2018年も、ポルトガル音楽が世界中の多くの人々に届くことを願うばかりだ。
(ポルトガル●山口詩織)


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