デネーズ・プリジャン 2年ぶりのパリ公演

楽屋にて筆者と18年ぶりに再会したデネーズ・プリジャン©Kazuko Ueno

楽屋にて筆者と18年ぶりに再会したデネーズ・プリジャン©Kazuko Ueno

30度を超える異常な暑さに見舞われた5月29日、パリ東部11区にある小ホール「パン・パイパー」でデネーズ・プリジャンのライヴがあった。ホール入り口では開演前からファンが詰めかけ、長蛇の列だ。地下への階段を下りてライヴ会場に入るとステージに向かって左側にはバーがあり、ビール片手にライヴを楽しむこともできる。座席は折りたたみ椅子で約400席、イベントに応じてスペースを自由に設定できる会場だ。
2015年にブルターニュのレーベル、コープ・ブレーズから12年ぶりに発表した7枚目のアルバム『Denez, Ul liorzh vurzhudus/An Enchanting Garden』のお披露目ライヴが同年にパリで行われたが、今回はそれから2年経ての公演だ。ギター、パーカッション、コントラバス、バイオリン、サックス&フルートで構成されたバンドをバックに同盤の収録曲を中心にしてステージが展開した。ケルティックやオリエンタル、ジプシー、ギリシャにイディッシュなど様々な色彩やスタイルで味付けをしたデネーズ・プリジャンの壮大な音楽空間が広がり、目を閉じて聴き入るとそれぞれの旅の情景が万華鏡のようにキラキラと脳裏に現れては消える。アップテンポのリズムになると聴衆の肩が小刻みに揺れ、全身でそれを受け止めているようだ。デネーズ・プリジャンのちょっと鼻にかかった甘いヴォーカルの連打が心地よく身体の隅々まで染み渡るのだ。
ステージの終盤で「カン・ア・ディスカン」と呼ばれるブルターニュの伝統的なダンス曲が始まった。足をけり熱唱するデネーズ・プリジャンのビートに合わせて会場の後ろから男女の一列がリズミカルに足をならし、両手をしっかりつないで調子をとりながらステージに向ってきて踊りだした。聴衆とステージが一体となって最高潮に達した瞬間だ。
パリとパリ近郊にはすでに四世代を数える100万人以上のブルターニュ出身者が住んでいる。フランス西部ブルターニュ地方への発着駅であるパリ・モンパルナス駅近くにある文化団体ミッション・ブルトンヌでは定期的に「フェスト・ノース」というブルターニュのお祭りが開かれているが、この夜はまさにその雰囲気なのだ。1987年にブルターニュの権威ある「カン・ア・ボブル伝統歌コンクール」で優勝した後、数々の賞を受賞したデネーズ・プリジャンはこのダンス曲「カン・ア・ディスカン」の貴公子と言っても過言でない。アンコールではもうひとつの柱、ブルターニュの鎮魂歌とも言われる「グウェーズ」をアカペラで披露し、淡々とブルターニュ人の芯の強さを歌い上げた。言葉を超えた魂を根底から揺さぶる清澄な声の力。ブルターニュ伝統音楽の真髄を守りつつ世界中の音楽との融合を試みてやまないデネーズ・プリジャンの凛とした姿勢に圧倒されたライヴであった。
(パリ●植野和子)


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