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パブロ・シーグレル・ミーツ・トーキョー・ジャズ・タンゴ・アンサンブル 2012

〈アストル・ピアソラ没後20年記念公演〉



ピアソラのステージは戦慄と哀愁と、そして自由にあふれていた。
思いがけず、その片腕であるパブロと共演させてもらえる事になった。
その戦慄と哀愁と自由が、そのまま大きな課題になった。
絶対に楽しんでやる!

—サックス・クラリネット奏者、9日ゲスト 梅津和時


ピアソラから受け継いだタンゴ遺伝子に即興という新次元を大胆に組み込んでタンゴの限界を拡張するシーグレル。
今回、強力無比なメンバーとの共同作業はさらに緊密化するだろう。
一期一会の鮮烈な音楽体験を逃すな!

—音楽ライター 鈴木一哉




 生きててよかった、と思った。私はこのために生きているのだ、と思った。大袈裟ではなく。45 年の人生、音楽通ではないけれど、ジャンルを問わずそれなりにライヴやコンサートに通い、心揺さぶられたり興奮したりしてきた。しかし、このシーグレルのアンサンブルの体験は、それらとまったく違っていた。

 シーグレルのオリジナル作品を聴くのは初めてで、ライヴの後、曲の具体的な音は覚えていない。なのに、あのときに味わった、全細胞が震えて活性化して、自分のポテンシャル全開で自分が生きているような感覚は、今でも鮮烈に残っている。いや、「残っている」のではない、いまだに続いている。あの演奏で私の生命エネルギーのスイッチがオンになり、そのまま私が私を演奏し続けているかのようなのだ。

 そのさまは、舞台上を見ていてもわかる。シーグレルのピアノによってスイッチをオンにされた鬼怒、西嶋、北村、会田は、自身でも気づいていなかった能力を全開にさせられ、神懸かった演奏を繰り広げた。互いの神懸かり合いが、さらに影響し合い、いっそう神懸かっていく。シーグレルはあの演奏のすさまじさでその音を聞く人を圧倒するだけでなく、おまえにはおまえなりにどこまでも行けるのだというゴーサインを出してくる。私たちは自分に限界がないことを知り、限界のない世界を垣間見て戦慄しつつ、シーグレルのゴーサインでそこへ飛び込んでいくのだ。そしてそれは、ピアソラの精神そのものでもある。

 インプロビゼーションに意味があるとしたら、その点にしかない。ジャズファンへの失礼を承知で言えば、私はある種のジャズ奏者の即興が苦手だった。ジャズ奏者の演奏するピアソラでも、崩すことばかりが先立ち、独りよがりな自己陶酔に感じられ、聴けば聴くほど冷めてしまうなんてこともあった。

 今回のシーグレル・アンサンブルの即興、そしてシーグレル時代のピアソラ・キンテートの即興は、そのような即興からは最も遠いものだと、私には感じる。異様に正確に弾きすぎると、即興になってしまうかのような。オレはオレ流でいいんだもんね、という一方的な内輪向けのやりとりではない、周囲を巻き込んで転がり、限界を超え続ける、前衛としてのインプロビゼーション。つまり、ラテン。

 今の私はもう、シーグレル・アンサンブルを体験する以前の私ではない。

月刊ラティーナ2011年8月号より
—作家 星野智幸




タンゴの伝統に則りながら壮大なるタンゴの進化形を作り上げたピアソラの音楽に、その先はあるのか? シーグレルたちの壮絶なライヴを体験すれば、彼が未来への鍵をしっかりと握っていることが実感できるだろう。

—『アストル・ピアソラ 闘うタンゴ』著者 斎藤充正




 ピアソラと出会うことによって人生が変わった人は少なからずいるけれど、シーグレルはその中でも筆頭に位置するのではないでしょうか。タンゴ界では全く無名だったピアニストが、1978年に新生ピアソラ五重奏団に起用されて、一躍(アンチ・ピアソラを含む)全てのタンゴ・ファンの注目を浴びる存在となったわけですから。以後10年間にわたるピアソラとの活動において、シーグレルがピアソラから受け取ったものは計り知れないほど大きかっただろうと思います。

 ただ彼が素晴らしいのは、その後現在までの24年間で、ピアソラから受け取ったものを土台としつつもしっかりと自分の音楽を築き上げて来たことでしょう。タンゴのグルーヴを根底に保ちつつ、ジャズ的なインプロヴィゼーションを大きくフィーチャーする彼のスタイルは、仮にピアソラが現在まで生きていたとしても恐らく取らなかったであろうアプローチです。そして同時に、シーグレルにとってはこうせざるを得ない、必然的なものなのだろうとも思います。その必然の表現を獲得する上ではさまざまな苦労もあったはずですが、苦労を厭わず妥協しない彼の姿勢こそ、ピアソラから受け継いだ一番大きな財産でしょう。

 シーグレルとのチームワークがどんどん深まるトーキョー・ジャズ・タンゴ・アンサンブルの面々、一期一会の共演を果たすゲストの二人、そしてわれわれ聴衆も、今度はシーグレルから、そしてシーグレルを通じてピアソラから、何かを受けとる番です。もしかすると人生も変わるかもしれません。

—音楽ライター 吉村俊司




 あのシーグレルが日本でのプロジェクトを始動する。それ自体は大きな驚きだ。だが発表されたメンバーは想定内で、彼らには間違いなくその資質がある。事実、ステージに登場した彼らに気負いは見られず、序盤は淡々と進み過ぎているように感じられたほどだ。

 鬼怒無月の安定感はさすがだ。小松亮太タンギスツでの活動はもとより、難曲として知られるピアソラの「タンゴ組曲」まで弾きこなすテクニック。「ポスト・タンゴ」を標榜するサルガヴォにおいては、ピアソラの影響を公言しつつ、独自性にこだわり続ける。ピアソラの精神性にもっとも近づいたギタリストではなかろうか。ジャンルを超越したスタイルは、シーグレルの主要なパートナーであるキケ・シネシにも通じるが、鬼怒の根底にはロックがある。その演奏が強烈なエネルギーを発してゆくにつれ、シーグレルの表情は輝きを増す。そして第一部ラスト、「フーガと神秘」の重層的なアンサンブルが織りなす一体感。気がつけば会場は、異様な熱気に包まれていた。

 第二部冒頭でシーグレルとのデュオを披露した会田桃子の音色にも心を打たれた。長年活動を共にする西嶋徹と北村聡がシーグレルに選ばれたのは、彼女の目指す方向性が間違っていなかったことの証でもある。特にアルコの技術でジャズ界随一と思われる西嶋をタンゴの世界へ引き入れたのは大正解だった。この日も縦横無尽なアルコソロが終盤に炸裂。それはまさしくシーグレルが求めていたものだろう。一方タンゴ界で順調にキャリアを積み重ねてきた北村は、菊地成孔率いるペペ・トルメント・アスカラールへの参加あたりから、本格的に即興演奏に取り組み始めたようだ。同バンド脱退後も喜多直毅、中島ノブユキらとセッションを重ね、急速に進化した北村の能力は、最高の舞台で遺憾なく発揮された。そのさりげなく官能的なフレージングは、ピアソラともワルテル・カストロとも異なる、まぎれもない北村自身の個性だ。

 ピアソラがシーグレルのために用意した「チン・チン」後半のアドリブパートで、シーグレル、鬼怒、北村の3 人が対等にソロを回す。この絶妙な均衡は、ピアソラが到達し得なかった境地に違いない。そしてシーグレルは自らその調和を壊そうとするかのように、ますますヒートアップする。3年前にブエノスアイレスで見たライヴを遥かに上回る恍惚。これはまだ見ぬ世界への、ほんの入り口であることを確信した。

月刊ラティーナ2011年8月号より
—音楽評論家 徳永伸一郎