ハイチ共和国とは?ミニ・オール・スターズとは?出演者プロフィール公演日程月刊ラティーナハイチ特集記事

 

8/20(木)中野サンプラザ公演

チケット:S席 5500円(税込)

開場:18:00 開演:18:30

ラティーナではS席のみの取り扱いとなります。

チケットのお求めはこちらから

 

ハイチ共和国

 

ハイチ地図

 

カリブ海に浮かぶイスパニョーラ島の西側に位置するハイチ共和国は、1804年世界で最初の黒人による共和制国家であり、ラテンアメリカで最初に独立した国でもありました。しかし歴史的にもクーデターや軍事独裁政権の暗闇の時代を抱えていたこともありました。西半球で最も貧しい国と言われており、国民の多くは劣悪な貧困状態におかれています。そして熱帯気候のハイチでは昔乱伐されてた影響で、ハリケーンが通り過ぎると毎回甚大な被害を出してしまっています。

 

しかしここハイチの文化はカリブ海のアフリカと呼ばれるだけあって、ノワリズムから生まれたすばらしいアフリカ原点のアートや音楽が生まれることとなりました。ヘイシャンアート(Hatian Art)はコントラストの強く原色中心の絵画でその強いインパクトから世界中から高い評価を得ています。

 

そしてハイチでは国民の重要な娯楽の一つとなっている音楽も高い評価を得ています。メレング、ミジックラシーン、ヴードゥー、ララ、トゥバドゥ、そして今回の来日メンバーの分野ともなるコンパとこれまで様々なスタイルを生み出していました。

Topへ戻る

 

Mini All Starsとは? 

今回来日するミニ・オール・スターズはハイチで生まれたコンパの代表的なグループ。その名前はタブー・コンボやスカシャが所属しているレーベル「Mini Record」、レーベルのオールスターという意味も込められたバンドの中身は、既存の枠を超えたまさにオール・スターズ。70年代後半に活動しはじめ、今回の来日メンバーには、もちろん開始当初からのオリジナルメンバーとさらに加わった新メンバーもいる。

Topへ戻る

出演者プロフィール

現在作成中です。今しばらくお待ちください。

Topへ戻る

 

公演日程

カリブ海ミュージッククルーズ・ハイチ情熱音楽

公演月日 開演時間 公演会場 チケットお問い合せ

8月

18日

18:30

 所沢ミューズ・アークホール

MIN-ON

インフォメーションセンター

03(3226)9999

20日

18:30  中野サンプラザホール

23日

18:00  上田市民会館 MIN-ON推進2部 03(5362)3455
24日 19:00

 本多の森ホール

 (旧石川厚生年金会館)

MIN-ON金沢 076(222)0952
25日 18:30  神戸国際会館こくさいホール MIN-ON関西 06(6762)6130
26日 18:30  周南市文化会館 MIN-ON周南 0833(44)1681
27日 18:30  宇部市渡辺翁記念会館 MIN-ON宇部 0836(33)0960
28日 19:00  福岡サンパレスホテル&ホール MIN-ON福岡 092(629)3050
9月 1日

14:00/18:30  大阪厚生年金会館大ホール MIN-ON関西 06(6762)6130
2日 18:30  高知県民文化ホール MIN-ON高知 088(872)3793
3日 18:30

 中京大学文化市民会館

 オーロラホール

MIN-ON中部 052(261)5391
6日 14:00  いわき芸術文化交流館 アリオス MIN-ONいわき 0246(28)7966
8日 18:30  仙台サンプラザホール MIN-ON仙台 022(222)1371

(2008年7月1日現在)

Topへ戻る

 

月刊ラティーナハイチ特集記事

月刊ラティーナ2009年6月号

カリブの音楽大国、ハイチに注目!

文&写真●本田健治

Girl in Haiti

 マイアミと南米を結ぶ空路を今までに何度も経験してきた。ついこの間もブラジルのレシーフェからマイアミに向かう途中、必ず目撃できる夢のように美しいサンゴの海を求めて眠らずに待った。未だに正確な地点は特定できずにいるのだが、おそらく小アンティル諸島を越え、エスパニョーラ島も越え、タークス&カイコス諸島の辺りと思うが、とても普通の自然現象とは思えないエメラルド色をした信じられなく美しい海(左頁上の写真)に出会うことができる。もう少し北上したバハマの奇形の海岸も含めて、カリブ海は、人間の想像を絶する美しさが広がっている。
 しかし、この神懸かり的な美しさとは反対に、このカリブ海に浮かぶ、南米側から見て縦に連なる小アンティル諸島、その北の大アンティル諸島とも、コロンブスの「発見」以来、もっともそのヨーロッパ進出=植民地化という歴史に蹂躙された、呪われたかのような地域として現在に至っている。
 コロンブスの新大陸発見(彼は大陸には到達していないが)以来、まず、スペイン人が大アンティル諸島を征服。つづいて、スペイン人は南米大陸の征服に力を入れたがために、エスパニョーラ島の西側、プエルトリコ、小アンティル諸島はフランス、イギリス、オランダという後発の国々によって植民地化された。
 この地域の植民地に共通するのは、ヨーロッパ人が到来して30年程の間に先住民が壊滅してしまい、その代わりにそこに起こされた砂糖産業の労働者として、アフリカからたくさんの奴隷が運ばれたこと。つまり、植民地化されたとほぼ同時に、それまでの歴史や文化は壊滅、新たに入植してきた人間たちによって、新しい文化や歴史が創造されたことになる。壊滅した原因には征服の際の暴力の他、ヨーロッパ人がもたらした疾病によるところも大きかったというのは今では定説となっている。中米のメキシコやグアテマラ、南米諸国のように大陸部では、征服された先住民が、この500年の間に移民たちよりも優勢になって盛り返すところも出てきているが、カリブ諸国では、先住民が壊滅したわけだから、全く新しい文化が創造されたことになる。
 この地域の文化をクレオール文化と呼ぶことが多いが、このクレオールという言葉自体がラテン語の「創造する」という言葉に由来している。もっとも、クレオールという呼称はカリブに限ったことではなく、もっと幅広い。例えば、この地域にはアフリカから黒人奴隷がたくさん運ばれてきた。命令するヨーロッパ人と彼らとのコミュニケーションをとる言葉が存在しない。それどころか、彼らの出身地であるアフリカでは、民族ごとに言葉が違うのだから同じ事。そこで、仕事をする上で、共通の言葉を作り出す。もちろん征服者たちの言葉が一番影響力を持つから、スペイン語系、ポルトガル語系、フランス語系、英語系など色々なクレオール文化が育ってきた。そして、「クレオール」と言う言葉はやがて、カリブに限らず植民地として運ばれてきた人も、言語も、文化も、植民地世界に新しく生まれたものをひとまとめに総称するようになった。

 さて、前置きが長くなったが、ここでは「ハイチの音楽」がテーマである。ハイチは、同じカリブ海のマルティニーク、グアドループ、さらに南米大陸北端のフランス領ギアナ等と同様、フランスに征服された熱帯の植民地だった。ただ、ドミニカ共和国とエスパニョーラ島を二分するハイチは、1789年にフランス本国で起きた革命の影響で、黒人奴隷たちが蜂起、ナポレオンが送った軍隊をも撃退して、1804年に世界初の黒人による共和国を打ち立てた。誕生当時からしばらくは、林業や砂糖、コーヒーの栽培で巨万の富を生み出したが、その後は現在に至るまで政治的にも経済的にも混乱したままだ。ハイチは独立国であるから、その意味では厳密な「クレオール」とは一線を画してはいるが、国民の公用語はハイチ語と呼ばれるクレオールで、標準フランス語を話す人は数少ない。
 ハイチの音楽について一応定説を書き連ねてみたい。

●ヴードゥー・ミュージック

 ハイチの大部分の国民はローマン・カトリック。しかし、まだヴードゥーを信じているものもいる。ヴードゥーは宗教儀式の一部分として、音楽や舞踏を取り入れているが、ブラジルのカンドンブレ、マクンバや、キューバ、ベネズエラのサンテリアの仲間。特に教義や教典はなく、宗教法人として認可された教団もひとつもない。しかし、ハイチの音楽シーンにはいつもこのヴードゥーが見え隠れする。ハイチのリズム・パターンの基本にヴードゥーがあるのは間違いない。
 さて、ハイチは20世紀に入って砂糖貿易を通してようやく近代化の道を歩み始めたかにみえたが、独立と引き換えたフランスへの借金(賠償金)に苦しんだ。1915年、カリブを自分の庭とみなすアメリカが債務返済を理由にハイチを占領、34年まで支配した。その頃ヴードゥーの儀式は、占領兵士たちの文化を拒絶する象徴だった。ハイチのポピュラー音楽にヴードゥーの打楽器が使われるようになったのはこの頃と言われる。
 1957年に大統領になったフランソワ・デュバリエは秘密警察を駆使して厳しい独裁制を敷いた。デュバリエはヴードゥーの信者で、86年に国外脱出するまで民衆掌握の道具としてヴードゥーを利用したと言われる。グループ・サー(後のグループ・フォウラ)は、ヴードゥー・サウンドを世界にアピールした最初のグループと言われている。

●ララ

 ララ・ミュージックとはヴードゥー教と深いつながりのある、四旬節(キリスト教で、復活祭前日までの46日間から日曜日を除いた40日間)の行列用の音楽だ。どちらも道ばたで大騒ぎするどんちゃん騒ぎなことからもハイチのカーニヴァルと間違えられることも多いが、実際にはカーニヴァル終了日(灰色の水曜日)の翌日からイースターまで行われる。四旬節の際に〝ロア〟と呼ばれるハイチのヴードゥー教の精霊に対する宗教的な儀式の一部として、バンドはハイチの町中を演奏しながら練り歩く。またバンドがその行列を始める前にその安全祈願として、ウンガン(ヴードゥー教の男性司教)または、マンボ(ヴードゥー教の女性司教)に取り憑くゲデとよばれる死と生とセックスの精霊が降臨することも大切な儀式の一部となっている。
 このヴードゥーの儀式は、ハイチだけではなくNY、マイアミといったハイチ人の居住区でも多少形が違っても行われている。ここに必要なのはイニシエーションを受けた巫女と太鼓を叩く鼓手たち。太鼓のリズムに身を任せ、巫女たちが踊り出す。と、急にその一人が正気を失ったように倒れ込む。トランス状態に入るのである。筆者はブラジルのリオのコパカバーナ海岸で年が変わった直後に行われたカンドンブレのまったく同様の儀式に出会ったことがあるが、踊っている女性が急に奇声とともに倒れ込む。あれは酒でも薬のせいでもない。不思議な現実だ。その時のリズムは、彼らなりにいくつかのパターンに分けられているという。ヴードゥーも同じなのだろう。

●コンパ

 コンパはミジック・ラシーンの流行る少し前、70年代から80年代に起こった音楽ムーヴメントだが、現在でもハイチの大多数のポピュラー音楽はこのコンパに代表されている。フランス語でCompas 、クレオール語でkompaと書かれるが、これはもともとフランスのボールルーム・ダンス(コントラダンス)とハイチのブルジョア文化が融合して生まれたミクスチュア文化を指すらしい。ブルジョアという概念については、今でもそうだがハイチという国では大量の失業者に溢れている状態だからCDなど買う余裕のない貧困層がたくさんである。だから、音楽のムーヴメントに向かうのは、CDが買える少数の富裕層と言うことになる。ハイチの一般国民は、ラジオやインターネット・ラジオでタダで音楽を楽しむ。だから、音楽家が生活を支えるのに、海外に活路を見出さざるを得ないわけだ。
 1950年代、隣国のドミニカ共和国のメレンゲが一世を風靡するようになって、その流れがハイチにもやってきた。ハイチにも同じ流れを汲むメラングという音楽が存在する。メラングはフランスのコントラダンスとアフリカのリズムが合体したゆったりしたリズム。コンパはそれが発展したと言うよりは、ドミニカのアップテンポのメレンゲに触発されて、ハイチ流に解釈されてできたものという方が一般的だ。
 コンパは1957年にヌムール・ジャン=バティストとウェベール・シコーによって始められたといわれる。二人は最初は同じグループで演奏していたが、ヌムールが即興演奏を重視したマンボに影響されたスタイルを作った。これがコンパ・ディレクトと呼ばれるもので、パーカッション、シンセサイザー、サックス、トランペット、エレキ・ギター、ベース等を使って演奏された。一方、ウェベール・シコーは更に洗練されたカダンス・ランパを創始するがコンパほどには一般化しなかった。
 コンパはもともと、キューバのソン、カリプソ、サルサ、ソカ、ズーク、ロックなどあらゆるジャンルの影響に加え、1915年にアメリカがハイチを占領した時に持ってきたスイングやビッグバンドのスタイル(ミニ・ジャズ・スタイルという)も継承しているから、定義は難しいが、聴いてみると、ドミニカのメレンゲをややゆったり目にした音楽という説明が分かり易い。
 コンパ・ディレクトは、その後いくつものスタイルを生み出す度に、よりポップスとしての確たる構造を作り上げていった。コンパのアーティストは数限りなくあるが、有名なのはタブー・コンボ。1970年代初頭、アメリカのファンク・シーンからの影響を受け、爆発的な人気を得たロス・インコグニトス・ドゥ・ペチョンビルがタブー・コンボとなった。そして1984年にはフランス・パリを始め、世界中でチャート上位を占めるミュージシャンとなった。他に、今アメリカやハイチで一番人気のTーヴァイス、ザン(ZIN)、ゼングレン、カリミの他、ジャクール・ミジック、ヌ・ルック、クレジ・ミジック、コンパ・クレオール、システム・バンド、さらにヌムールに捧げた『ピュア・ゴールド』と言う代表作を録音したミニ・オールスターズ、初期のマグナムバンド、スカシャー等が有名。ミニ・オールスターズは、もともとマイアミのフレッド・ポールというプロデューサーがハイチ音楽のスターたちで録音するために作られたが、80年代に大ヒット、以来イベントの度に世界中から集まっては演奏している。

●ミジック・ラシーン

 80年代終わり頃から90年代になって、ヴードゥーやララ・ミュージックといった伝統音楽に目を向け、それにロックやジャズ、アフリカン・ポップのスタイルをも取り入れて現代風に再生しようという音楽が現れた。ちょうど、時間差はあるが、ブラジルのトロピカリズモのような運動だが、これをミジック・ラシーン(ルーツ・ミュージック)と呼んだ。90年代に入って、ブークマン・エクスペリエンスやブッカン・ギネ、サンバ・ヨ、フラといったグループがアメリカを含めて、商業的に大成功を収めるようになった。ちなみに現在ハイチで活躍しているラムやロック・ファムもこの流れのグループだ。

●トゥバドゥ

 40年代、お隣のキューバに出稼ぎに行った農民が、クラーベやトローバといったキューバ音楽の要素を持ち帰り、ハイチのメラングと結びつけた音楽といわれる。このトゥバドゥの流行は、人気コンパ・バンド、ミジック・ミジックのファブリスとケケというミュージシャンが軸となったオールスター・キャスト「ハイチ・トゥバドゥ」のヒットが発端になっている。NYのクィーンズ地区の中心にあったアマズーラ・ナイトクラブでの総勢40名のアーティストによる5000人規模のコンサートの成功が発端とも言われる。最近、マイアミのミニ・レコードからも『ローレ・ローライ』と言うアルバムが発売され話題を呼んでいるが非常に素朴なまったり感が良い。

 ジャンルとは別に、特筆したい歌手にカナダに在住して活躍する、エメリーヌ・ミッシェルがいる。ハイチのゴナイブに生まれ、当初は地元の教会でゴスペルを歌っていたが、その後、デトロイト・ジャズ・センターで勉強。ハイチのコンパ、トゥバドゥー、ララのリズムでハイチの社会的、政治的、心情的な歌を歌う。現在は主にカナダのケベック州に住んで活躍する「ハイチの歌姫」。過去に来日もしているとのことだが、ライヴDVDで見る限り、ステージは歌だけでなくハイチの伝統舞踊も取り入れた素晴らしいものだ。

 さて、今年夏に実現するハイチ音楽の企画が頭をもたげたのが昨年の春。色々資料を集め始めるが、一向に埒があかない。渡航するしかないのだが、少し前の4月に発生した食料価格高騰に我慢しきれなくなった市民が大暴動を起こしたこともあって、外務省の友人も「渡航自粛」を勧めてくれるばかり。ただひとり、麻布のジャン・クロード・ボード駐日ハイチ大使だけが、協力してくれた。
「大丈夫。ハイチでは私の知る限りの友人を紹介するし、NY、マイアミにも音楽関係の有力な友人がいるから紹介する」と言ってくれた。大使の凄いのはその場で電話機をとって、関係者とその場で話をさせてくれること。ところが、問題は言葉だ。筆者はハイチ語どころかフランス語もからっきしだ。これにも「大丈夫。ハイチはドミニカの隣国だ。君のスペイン語だってたくさん話せる人間がいる」。
 すっかりその気にさせられて、外務省の「渡航延期の勧め」対象国で、全土で誘拐事件が多発しているハイチヘと出発したのだった。

 マイアミからポルトープランスへの機中、隣に座ったセンスの良さそうなハイチ人と知り合いになり、まず、何でも良いから現在ハイチなり、海外で活躍しているグループの名前を聞きまくった。彼はカナダとポルトープランスで洋服店を営むベルナルドという裕福そうな黒人だった。彼の情報は実はかなり正確に今のハイチ音楽界を説明してくれていた。どうも海外で彼くらいの仕事をしている人間はハイチでは「大物」になるらしい。彼と一緒にいると、入国審査もあっという間だったし、彼のアシスタントが彼の愛車ニッサンを回している間に空港警察のトップを紹介されたりした。で、結局彼の洋服店とホテルが近いことがわかり、彼の車でホテルへ行ってみたが、約束の大使の娘さんが来ない。何度か電話してようやく現れたが、今度は大使の話と違ってスペイン語がほとんど通じない。何でもスペインに留学していた仲間を当てにしていたのだがこの日は都合がつかなかったという。不安な滑り出しだった。
 しかし、この街の第一印象はブラジルのサルヴァドールと似て、音、絵……見るものすべてが濃い黒人文化に彩られているということ。宿泊先はペチョンビルという、どちらかというとハイチの富裕層が住む山腹のホテル。ネットが通じることとできるだけ安全なところという条件で、大使に勧められたホテルだ。
 人口約200〜300万人と言われる首都のポルトープランスだが、市内の交通手段と言えばタップ・タップと呼ばれる、トラックの荷台を改造して作った乗合自動車しかない。これではよほど慣れないと目的地にたどり着くには時間がかかりすぎる。とてもじゃないが、一人でレンタカーというのも危険そうだし、もう完全に大使の娘さんのE嬢に頼ることにした。だから、この旅はE嬢と何人かのスペイン語の通訳を買って出てくれたお嬢さんたちの協力の賜物であった。
 2004年の反政府武装勢力による警察占拠(アリステッド元大統領は出国)以来、3000人規模の国連暫定多国籍軍が展開、以来国連ハイチ安定化ミッションが、このペチョンビルのホテルの前に警備本部を置いている。だから、ホテルの近くは安全だが、ここではハイチの本質を見ることにはならない。極悪デュバリエが独裁を続ける本拠地となったナショナル・パレスも、ポルトープランスの庶民のくつろぎの場所、独立英雄広場も、数々の寺院もすべてダウンタウンにある。E嬢のおかげで、独立広場の夜の賑わいから寺院の壁にへばりついて敬虔に祈る庶民の姿も目撃できた。この街の至る所、道端にはいわゆるヘイシャン・アートの展示即売所になっている。E嬢の友人P氏は、このアート販売の総元締めで、隣国のドミニカからマイアミ、NYにまで販路を持っている。また、ダウンタウンでは、ちょうどノートルダム寺院から海岸に連なって何キロもいわゆる市場が続いている。中南米諸国ではよく見かける市場だが、ここのはトタンにテントといういかにも頼りない建物にびっしりと商品が並べられている。特に百貨店の類がないから、庶民の購買行動はすべてここで賄われているよう。私がハイチを訪ねた後、昨年だけで4つもの大きなハリケーンがこの国を襲撃、この辺の市場はほとんど壊滅だったというから心配だ。
 さて、到着した日から言われ続けていたフェスティバルが滞在最終日の夜、ようやく行われることになった。市内のとある大きな駐車場の様なスペースに、特設ステージが組まれていた。関係者と言うことで招待してもらったのだが、入ってすぐに、目の前を手錠をかけられて警察に連行される若者がいたり、なかなか緊張感のある取材になった。 
 中米・カリブの最貧国と言うから、音響設備もあまり期待していなかったが、島独特の電気事情で照明はさすがにやや見劣りするものの、音響設備からスモークに至るまで十分な設備だ。PAのエンジニアもあの低音の処理、キックとベースのバランス処理で絶妙のグルーブ感を出すのはブラジルと同じだ。楽器類も海外から持ち帰っているのだろう、立派だ。この辺も往年のブラジル・サルヴァドールを彷彿とする。
 この日のオープニングは、その名も「ジャズ・バンド」。これはビッグバンドではなくかなり普通のジャズ・バンドだったがレベルは高かった。一番興味深かったのが、ミジック・ラシーン系統の「ロック・ファム」だ。ヴードゥーらしい身体をくねらせながらのダンスで歌う迫力ある女性歌手に、4人の女性ダンサー、興が乗ってきた頃にはヴァクシーンという竹で作った吹奏楽器がトランペット代わりに、ステージ上で伝統のララの行進を始める。凄い迫力だ。そして、ついにこの日のメイン・アクト、マス・コンパのステージだ。総勢20名くらいいるだろうか、メレンゲをゆったり……というコンパの説明とはほど遠い、大爆音、大迫力の音楽だ。男性歌手は飛び跳ね、絶叫する。ホーン・セクションも時間の経過とともに同じ振付のダンスの振れ幅が大きくなる。初めて来たハイチで、こんな体験ができると思わなかっただけに感激の一夜だった。

 さて、この国ではこうしたフェスティバルがあっても、庶民が貧しいからいわゆる興行的には非常に厳しいのだという。結局音楽家たちはハイチ・コミュニティのあるカナダ・ケベックやNY、マイアミ、さらに同じフランス系のマルティニーク、グアドループに日常の活動の場を求めることになる。しかも、ハイチ本国在住で、アメリカやカナダのビザを持たないメンバーで構成されるグループの日本招聘は難しい問題が一杯。しかも、中米諸国同様、海外在住だからと言って音楽がハイチから離れるわけではない。彼らはいつもハイチと居住国を往復している。
 ということで、帰りにマイアミ、NYでマグナムバンドやスカシャーのメンバーにも会ってきた。メンバーが一番多く住んでいるのはマイアミで、このマイアミのレコード会社、ミニ・レコードの社長、フレッド・ポール氏と検討を重ねた結果、コンパを中心にハイチの色々な要素を発揮してくれるミニ・オールスターズの招聘を決めたわけだ。
 今回は、ハイチの音楽を概観することになったが、筆者はスペイン語圏、ポルトガル語圏の音楽にはある程度造詣があるもの、ハイチ音楽にはほとんど知識がなかった。昨年来少しずついろんな情報をまとめた結果がこの拙文である。

 調べていく内に、素晴らしい本にも出会い、今回の原稿の参考にさせていただいた。フォト・ジャーナリスト、佐藤文則氏の『慟哭のハイチ』(凱風社)、浜忠夫氏の『ハイチの栄光と苦難』(刀水書房)、さらに、ウェブ・サイトでは英文、日本文サイトとも、充実したサイトが結構たくさんある。しかし、日本では一時少しは騒がれたものの、まだまだほとんど紹介されていないし、残念ながら音源を手に入れようにもなかなか難しい。しかし、ネット販売のサイトもいくつかあるから是非聴いてみて欲しい。ハイチ音楽には、わくわくする世界が充満している。来月号からは専門のライター諸氏に、さらに詳しく紹介していただこうと思う。

Topへ戻る

 

 

月刊ラティーナ2009年7月号

フレッド・ポールが語るハイチ音楽の変遷

〜コンパ誕生から現在まで〜

文●岡本郁生 写真●本田大典

Mini All Starsのプロデューサー フレッド・ポール氏

 

 ミニ・オール・スターズ来日!というニュースには驚いた。その名前を聞いたのはいったい何年ぶりだろうか?
 ハイチという国と音楽についての概要は先月号で本田社長がまとめている。
 1950年代後半に、ヌムール・ジャン=バティストとウェベール・シコーによって始められたというコンパが一世を風靡。60年代になると、それまで大編成楽団が一般的だったのが、電気楽器を積極的に取り入れた小さい編成のバンドが数多く現れて〝ミニ・ジャズ・ムーブメント〟が起こり、多くの人気グループが登場する。この流れから生まれたミニ・レコードに所属するアーティストたちを集め、77年に誕生したのがミニ・オール・スターズであった。バティストの曲ばかりを取り上げた3枚組『ピュア・ゴールド』、四旬節の行列での音楽〝ララ〟に注目した『ララマン』など、つねに最先端でありハイクオリティのハイチ音楽を聞かせてきたのがこのバンドだった。が、80年代後半以降は、ぱったりと名前が聞こえてこなくなっていた。
 一方で90年代半ばには、ニューヨーク在住のハイチ移民の中から、フージーズというスーパースターが登場する。ワイクリフ・ジョンとプラズというハイチ人ふたりに女性歌手ローリン・ヒルが加わった3人組ヒップホップ・グループで、グループ名は〝refugee(難民/亡命者)〟から取ったものだ。米国音楽界に確固たる地位を確立したあとソロ活動に転じ、ワイクリフは母国への支援を続けるとともに、ハイチ音楽とヒップホップを独特の感性でミックスした作品を精力的に発表し続けている。
 そんな中で初来日を果たす彼らはこの2009年、どんな〝ハイチのいま〟を聞かせくれるのだろうか? 来日を前に、ミニ・レコードの創始者でマイアミを拠点に活動を続けるフレッド・ポールに、ミニ・レコードとハイチ音楽についてインタビューすることができた。
——ミニ・レコード設立のころ、ハイチ音楽はどんな状況でしたか?
フレッド・ポール(以下FP) 私がミニ・レコードを設立したのは1971年。ハイチを69年に離れ、米国のマサチューセッツで大学に行こうと考えている頃でした。そもそもハイチ音楽が大好きでしたが、その当時、この素晴らしい音楽を一般の人へと届けられるシステムはまったく存在しませんでした。そこで私は、みんなが聞けるようにしたいという一念で立ち上がったわけです。
 米国に関していえば、その頃にはまだミュージシャンとして渡米して来ているハイチ人は非常に少なかったのです。そもそもハイチにある美しい海、太陽、そしてカリブの美しい女性から離れて、寒いニューヨークへ渡る人には必ず理由があります。それは貧困であったり、また中には、政治的な理由でハイチにいられなくなった人もいました。
——ミニ・レコードの名前の意味は?
FP ミニ・レコードの名前は設立時に迎えていたミニ・ジャズ・ムーブメントから来ています。その変遷を迎えた時期に私自身が音楽業界に入ったこともあって、レコード会社の名前をミニ・レコードとしたのです。
——そのミニ・ジャズ・ムーブメントについて教えてください。
FP そもそもコンパとはヌムール・ジャン=バティスト・アンサンブルなどに代表されるように、人数が非常に大きなビック・バンドで演奏されるのが主流でした。しかし60年代にはその変遷の時代を迎え、1つの楽器、例えばエレキギターやサックスがリードパートを担うようになり、メンバー編成の数が少なくなりました。これがミニ・ジャズ・ムーブメントでした。
——そのときに何がどう変わったんですか?また、それはどこからのどんな影響で起こったものなんでしょうか?
FP どこから影響を受けて、というのは一概にはいえないと思いますが、先ほど申し上げたとおり、バンドの構成メンバーの数は少なくなっていきました。しかし、ただ単に少なくなったというわけではなく、リード楽器が出てきたり、シンセサイザーなどの電気楽器も利用されることで、人数をカバーできるようになったことがあると思います。中には3人ほどでバンドを構成するなんてこともありました。ただし現在ではまた過去へとさかのぼり、本物の楽器を使用して演奏される傾向がありますね。
——ミニ・ジャズ・ムーブメント以前のハイチ音楽はどんなものでしたか?
FP やはりヌムール・ジャン=バティストに代表されるように、大きなバンド編成で作られているものが多かったのです。しかし、それぞれのバンドがそれぞれの特色を持っていたこともあり、当時の傾向といわれると少し難しいですね。ただ、ヌムール・ジャン=バティストや、今回ミニ・オール・スターズのメンバーとして来日するアコーディオン奏者のリチャード・ドゥオゾウは、間違いなく、ハイチの若者たちのアイドルでした。私自身、学校の勉強なんかするよりもずっと前に、彼のアコーディオン・ソロを全部覚えてしまっていたくらいでしたからね(笑)。それくらいすごい人気でしたよ。
——コンパという音楽はどんなものですか?
FP 簡単にいうと、コンパはドミニカ共和国のメレンゲをゆっくりにしたところから生まれたと思います。しかし単純にどちらが先に生まれたということはなく、ふたつの違った言語文化を持つ国々が1つの島を半分にして生活してきた歴史の中で、文化同士が混じり合って生まれたふたつの音楽フィールドという風にとらえています。実際、単にメレンゲをゆっくりにしただけでは、コンパにはなりません。コンパはもっとジャジーなフィーリングを持たせていて、まぁそうですね、例えるならふたつの違ったカクテルで、どちらを飲むかというようなものです。私個人的には両方とも好きな音楽ジャンルですよ
——ではそもそも、ハイチ音楽の特徴とは?
FP 一番の黄金時代を築き、ハイチ特有の音楽といえばコンパになります。歴史的なことから見ると、もちろん私たちの文化の源流はアフリカです。アフリカから多くの種類のリズムが渡ってきました。アフリカのさまざまな地域から集まった人々がそれぞれの文化を交えていったことで、新たな分野ができていきました。そんなハイチ人が、隣国のメレンゲを自分流に解釈したのがコンパだといえると思いますね。
——ヌムール・ジャン=バティストの音楽を取り上げたアルバムを作っていますが、彼の功績とは何でしょうか?
FP まず私はヌムール自身に実際に会ったことがある非常にラッキーな人間だということをいわせてください。私が彼にあったのは1980年でした。直接会ったときに感じたオーラはいまだに忘れません。彼はただ単に奏者という枠を超えた存在でした。もちろん彼の最大の功績はコンパという新しい音楽ジャンルを開拓したことがあげられると思いますが、それ以上に、若手の育成にも大変力を入れている人でした。ミニ・ジャズ・ムーブメントの最中にシュラーシュラーというバンドがいました。シュラーシュラーはミニ・ジャズ・ムーブメントの中でも最初に生まれたグループの一つでした。そこでヌムールはそのムーブメントを支えるように、それまで彼が演奏していた「カバンシャクーン」というクラブでの演奏を彼らに譲ったのです。彼自身がすばらしい奏者でありながら、ハイチ音楽全体の発展と将来を考えていましたね。
——ハイチ音楽は、ミニ・レコード設立以来、どう変わってきましたか?
FP 様々な面で変遷してきましたね。これは自慢のように聞こえてしまうかもしれませんが、一時期はハイチ音楽と呼ばれるものの70%はミニ・レコードから発売されましたからね。今まで話していたミニ・ジャズ・ムーブメントから現在まで、ハイチ音楽の変遷とともにミニ・レコードは歩んできています。
——マイアミ、ニューヨーク、パリ、カナダなど海外でたくさんのハイチ人たちが音楽を作っています。そういった音楽家たちについてどんな感想を持っていますか?
FP かつてインターネットがなかった時代には、そもそもコミュニケーションのスピードは遅く、違いは出ていたと思います。私の意見としては、米国で演奏されていたハイチ音楽の方がより幸福感があふれる演奏をしていた気がします。もちろんその頃の政治情勢などの背景があるのですが、ハイチに住むハイチ人の演奏は、悲しいという言葉は適切ではないのですが、ニューヨークで演奏していたハイチ人の演奏との間に差があったことは事実ですね。ハイチに住むハイチ人は、当時の軍事政権下で厳しく言論の自由を弾圧されていました。自らを表現することを厳しく制限されていたことは、その音楽活動にも大きな影を落としたことは間違いありません。しかしインターネットの発達とともに、現在ではその差はないでしょう。いうまでもないことですが、マイアミからハイチまで、飛行機で1時間半で行けてしまうんですからね。
——フージーズで大ブレークしたワイクリフ・ジョンやプラズなどの活躍ぶりについてはいかがですか? 彼らはハイチ本国の音楽界にどんな影響を与えていますか?
FP もちろん、彼らのようなスターたちは本国に住むハイチ人たちに大きな影響を与えます。彼らのように成功した人たちをお手本にするのは当然ですよね。ただ私の意見としては、彼らが持っているハイチ的なリズムや完成が、逆にR&Bやラップに対して影響を与えた方が大きいともいえます。彼らの血に流れるハイチのリズムは、フージーズを通して世界中に影響を与えたと思います。
——現在のハイチの社会情勢は?
FP 私は音楽業界の人間だから、あまり深く込み入った社会事情には触れたくないんです。というか、何で現在あんな状態になってしまったのか本当にわからないからです。ハイチだけが貧困や政治の状況が暗いわけではないのですが、ハイチ人のひとりとしてより明るい未来に向かって行ってほしいと願っています。ただ、ひとつだけ言えることは、このような状況でも私たちが演奏を始めればみんながダンスを始める。私たちは音楽を愛している民族だと言うことです。

 以下、来日予定メンバーをご紹介しておこう。
*リチャード・ドゥオゾウ(アコーディオン)
ミニ・オール・スターズのオリジナル・メンバーであり、サブライム・オブ・ハイチのリーダー。またヌムール・ジャン=バティスト・アンサンブルでアコーディオニストを勤めていたこともある。
*カルロス・グラウディン(ヴォーカル)
ミニ・オール・スターズのスタート時からのオリジナル・メンバーの一人。ヌムール・ジャン=バティスト・アンサンブルで活動していたこともあるコンパ界の大御所中の大御所。
*ジーナ・デュペルヴィル(ヴォーカル)
ハイチ生まれ、シカゴ育ちの彼女の父は、ジェラール・デュペルヴィル。ハイチ音楽界の名歌手だ。そんな父を持つ彼女は4歳からプロの歌手としてデビュー。ソロ歌手として活躍している。
*マルコ・シセロン(ドラムス)
もうひとりのオリジナル・メンバー。担当はドラム。14歳からプロ・ドラマーとしての活動を開始し、さまざまなバンドで活躍してきた。米国のラジオWSLRでパーソナリティもこなす。
*カミーレ・アルマンド(パーカッション)
スカシャとマグナムバンドに所属するパーカッショニスト。プロとして20年以上活躍しているベテランで『ピュア・ゴールド』のレコーディングに参加している。
*エドワード・リチャード(ヴォーカル/ギター)
ニューヨークで活躍しているピヤイラのリーダーで、コンパ界の大御所スカシャーにも所属するギタリスト。
*アンドレ・ディジーン(トランペット)
ニューヨークで活躍しているディジーン4兄弟によるル・フレール・ディジーンのリーダーであり、トランペットのベテラン。
*ジョーイ・オミシル(アルト・サックス)
サックス、フルート、クラリネットと様々な楽器を操り、ミニ・オール・スターズでは2年ほど前から活動している。タブー・コンボにも所属しているほか、ソロとしても活躍している。
*パスカル・ララケ(キーボード/アコーディオン)
コンパ界の名ギタリスト、トト・ララケの息子である彼は現在カナダで活躍するキーボードプレイヤーであり、アコーディオニスト。ミニ・オール・スターズのフレッド・ポールにその才能を見いだされ、現在ではこのプロジェクトに参加している。
*ナクソン(ベース)
スカシャ、バズーカ、トップバイス、セングレンと様々なバンドに所属し、20年以上活躍している名ベーシスト。

Topへ戻る

 

 

月刊ラティーナ2009年7月号

多文化の混在するハイチの謎を探る旅

ブラック・アフリカとフレンチ・クレオール、ラテン文化の交差点

文●柳原明

 

 カリブの神秘の国ハイチのヘイシャン・ミュージックのオールスターバンド、ミニ・オール・スターズが灼熱の夏日本にやってくる。ヘイシャン・ミュージックというと地理的にはカリブ海の中心部に位置しているにもかかわらずサルサ・ラテンのテーマで汎カリブ音楽を集めた一般的なCDなどには、およそ登場していない。興味をもって一般的なハイチ音楽の括りを開いてみたところで、その音楽自体が総じてあまり出回っていないこともあり、いまだに多くの読者にとって、明確なイメージが見えず、謎めいたままなのではないかと思う。

 偶然にも今年3月号でセネガルが生んだスーパースター、ユッスー・ンドゥールがアフリカから新大陸アメリカに向かい、アメリカで花開いたブラックミュージックの中に自らのルーツを探る旅を題材にした映画『ユッスー・ンドゥール〜魂の帰郷』について考察させていただいた。自らの音楽を知るには案外、繋がりを持った仲間の音楽に接した方が早道かもしれない。ここでは僕なりの視点で可能な限りハイチ音楽の謎に迫るべく、広く関連する国々に点在する一般的に周知されている音楽を訪ね、別枠で具体的に結びつく作品を紹介させていただきながら、ハイチ音楽の位置しているところを探ってみよう。謎を解く鍵として、西アフリカ・ヨルバ/フォン族のヴードゥーを根源的宗教としてもつ国民の90%が黒人であるという濃いブラックアフリカ性、次に旧宗主国がフランスであるというクレオール性、そしてもちろんカリブ海に位置しているというラテン性と共に北米の文化を逆輸入し進化し続けるフレキシブルな感覚というキーワードをもとに、シーンを追ってみることにする。

 その昔、奴隷貿易が盛んに行われた17世紀から18世紀にかけて、アフリカから北米・中米・南米へと大勢のブラックアフリカの人々が送り込まれたが、その中でも最大勢力は奴隷海岸と呼ばれていたナイジェリア西部からベナン(旧ダホメ)にかけてのヨルバ人であったといわれる。当地での宗教的な儀礼音楽が、この奴隷貿易によって主だったところでハイチとアメリカ合衆国・ニューオリンズではヴードゥー、キューバではサンテリア、トリニダードではシャンゴ、ブラジルではカンドンブレと点在することになる。それぞれ音楽が大変盛んな土地柄だ。発祥の土地での儀礼音楽を自然に表現する、
 ナイジェリアのツイン・セブン・セブンや米国でヨルバ音楽の普及に貢献したババトゥンジ・オラトゥンジの作品は非常に魅力的だ。またポピュラー音楽として大きく飛躍したアフロビートのフェラ・クティや息子のフェミ・クティやジュジュの大御所サニー・アデらの音楽からも伝わるスピリットは共通している。またベナンから近年はグラミー賞にもノミネートされアフリカを代表する歌姫として大活躍のアンジェリーク・キジョーの作品群にもヴードゥー発祥の地であるヨルバ/フォン人としてのスピリッツが反映されている。ハイチのヴードゥーは一昨年東京の夏音楽祭で、フリスナー・オーグスティン率いるラ・トゥループ・マカンダルのライヴを目の前で体験し鮮烈であった。リズムとともに祭壇を前に、白を基調とした装束をまとった女性がマラカスなどを持って踊り、トランスへと導かれていく儀式を再現したものだ。内容的には例えば、雷の神シャンゴをたたえ、シャンゴに雨を乞う祈りなどが行われていたのではないかと思う。スミソニアン・フォークウェイズ社のヴードゥーを幅広く捉えた『リズムズ・オブ・ラプチャー』というコンピレーションアルバムは来日したマカンダルのグループや一般のライヴシーンでも活躍するバンドも含まれヴードゥーを幅広く捉えた秀逸なものだ。
 まずハイチと同じくヴードゥーとしてニューオリンズではワイルド・チャパトゥーラス、ワイルド・マグノリアス、ゴールデン・イーグルスなどのマルディグラインディアンズたちのコミュニティによって継承され、その中から出てきたネヴィル・ブラザーズやドクタージョンの活躍は多くの人が知るところであり、一連の彼らの作品の深層には一貫してそのスピリットが反映されている。90年前後、リアルタイムに彼らのライヴを目撃したが、今でも鮮烈な記憶が残っている。同じ時期ネヴィル・ブラザーズの世界規模での活躍がバネになり画期的な『コンビット』というハイチ音楽のコンピレーションが日本盤として発売されたが、その中の2曲でハイチのアーティストと同じルーツを共有するネヴィル・ブラザースが違和感なく共演している。またこういったムードの中で、アフリカへの原点回帰をコンセプトに持つミュージック・ラシーンが生まれ、来日も果たしたブークマン・エクスペリアンズやララ・マシーンなどが登場したことは特筆できる。時期を同じくしてハイチ音楽への関心も高まり、タブー・コンボやミニ・オール・スターズの作品群が一斉に日本で発売されているのは、今回のミニ・オール・スターズの来日の背景として重要な出来事である。
 次にキューバであるが、実はかつて同国を訪ねた際、民宿の女将さんが熱心なサンテリア信者で、そこでいきなり儀式に遭遇したときは圧巻だった。キューバもハイチと同じカトリックの国であるが、サンテリアは日常的に深く根ざしているのである。この流れに最も近いアーティストとして、来日時での儀式的なライヴでも実感したが、ここのところ注目度が益々上昇しているオマール・ソーサが挙げられる。またルンバを基調とした、モンゴ・サンタマリアやジェリー・ゴンサレスなどのアフロキューバンジャズでも確認できることは言うまでもない。トリニダードは周辺島嶼地域も包んでカーニバルで有名だが、そこで登場するソカ(ソウル+カリプソ)のアーティスト群に非常に類似した音楽を見出すことができる。
 そして音楽大国ブラジルであるが、バイーア出身の鬼才カルニーニョス・ブラウンの一連の作品にはカンドンブレが色濃く反映されており、直接的な『カンドンブレス』なる作品も近年発表している。また同郷のMPBの重鎮ジルベルト・ジルやジョルジ・ベンジョールなどの作品群とも関連づけることができる。
 
 次にフランス文化との邂逅から生まれたクレオール性であるが、フランスの海外県として歩んできたマルチニークやグアドループなど周辺地域から、フランス語圏のアフリカ大陸の国々はもちろん広くインド洋の島嶼国家や地域と多方面で共通項を見出すことができる。
 ハイチのコンパやジャマイカのレゲエなどから刺激を受けて、マルチニークのカッサブなどがノリノリのダンス音楽ズークを生み出し80年代半ばパリ経由で、フランス語圏はもとより全世界を短い期間であったが席巻した。この時期逆にハイチのコンパやコンゴのスークスのグループなどは特にズークのビートを取り入れることが一つの流行となった。またマラヴォワが、マルチニークやハイチにも19世紀には存在していたチャランガ・フランセーサを(これは長年キューバのチャランガバンド、オルケスタ・アラゴンが有名だが)現代に蘇らせる試みをして大成功しており、メロディなどのムードで類似性が見出せる。
 そして最も共通しており、相互に影響しあってきた音楽が、コンゴのルンバである。スークスやリンガラ・ポップとも呼ばれる。代表的なグループとして古くはフランコのT.P.O.K.ジャズやグラン・カレのアフリカンジャズやタブー・レイ、ザイコ・ランガ・ランガ、パパ・ウェンバ、カンダ・ボンゴマンなど数多くのスターグループを輩出してきた。ミニ・ジャズのハイチとほぼ時期を同じくしてジャズという言葉がモダンな音楽の総称としてグループ名に引用されており興味深い。フランス語圏ではないが、コンゴルンバの影響も強かった南アフリカのムヴァクァンガのマハラティーニ&マホテラクイーンズなどにも類似したサウンドを見出せる。またカメルーンのマコッサを標榜するマヌ・ディバンゴやビクティのレ・テット・ブリューレなどや、セネガルはムバラのスーパースター、ユッスー・ンドゥールの音楽にあるファンキーなグルーブとはもちろん親類関係にある。また同じくセネガルのオルケストラ・バオバブやギニアのベンベヤ・ジャズなどは古きよきコンパの香りがする。興味深いのは、マダガスカルの中のアフロ系ダンス音楽であるサレギは、アコーディオンのサウンドがアクセントになってコンパと通じるところがあり、代表的なバンドとしてジャオジョビが有名である。またフランスの海外県レ・ユニオンの同じくアフロ系のマロヤはヴードゥーに結びつくリズムで共通項がありグラムン・レレの音楽が際立っている。

 ブラックアフリカとの相似関係やフランス文化圏としてのクレオール感覚が魅力的な独自性としてベースを支えているが、やはりラテンアメリカの中心に位置して周辺の英語、スペイン語圏の音楽や北米を通して流れてくるポピュラー音楽も咀嚼して、柔軟に自らの音楽に取り入れてきていることは事実である。特にカリプソ、これも源流まで遡ると、フランスとの交わりからハイチ経由でトリニダードから全世界に向け花開いたようであるが、特にスローな曲には自然にカリプソの匂いが漂っていて南国のムードに溢れている。大御所マイティ・スパロウの作品などと聞き比べてみるのも面白い。また隣国ドミニカとは陸続きでもあるため、メレンゲは同じ島での同じルーツとも言えハイチなりのメレンゲの演奏が楽しめる。音楽大国キューバも隣国であり相互に影響を受けて発展しているわけであるが、特にニューヨーク経由で全世界を席巻してきたマチートやティト・プエンテらのマンボやサルサも自分たちの音楽の一部として消化している。

 ミニ・オール・スターズはヘイシャン・ミュージックのミニレコードのスタープレイヤーのオールスターバンドとして実際ニューヨーク、マイアミを主な活動拠点としており、同じくニューヨークで活動するサルサのファニアレコードのファニア・オールスターズを引き合いに出されることもよくある。標榜する音楽の伝道師的な役割は共通したものであるが、ファニア・オールスターズがほぼ固定メンバーであり、音楽的にも変化が少なかったことを考えれば、ミニ・オール・スターズのメンバーは流動的で、その時代時代の音楽を積極的に取り入れて常に前に進んできていることが特徴的である。根底となる音楽は独自性をしっかり保っているが、ジェームス・ブラウンやアース・ウインド&ファイヤー、サンタナなどのソウル、ロック、ファンク、ディスコ、R&Bをフレキシブルに吸収して成長してきているようだ。またハイチ出身で米国のヒップ・ホップシーンでフージーズを組織し大成功を収め今はソロとして祖国ハイチを支援する様々なプロジェクトも打ち出しているワイクリフ・ジョンをキーマンに、今後さらに多方面で相互に刺激を受けて進化していくのではと期待される。2004年ハイチ建国200周年を記念して、ワイクリフによって制作された異色作『Welcome To Haiti Creole1101』では成長著しいT─ヴァイスやスカシャ、ミジック・ミジックなどの実力派メンバーも参加して、ヘイシャン・ミュージックの過去・現在・未来を結びつけるカルトな内容の作品を提示している。
 現在のワールドミュージックシーンで見た場合、キューバのブエナビスタ以降、ルーツミュージックに関心が集まり世界中から数々のオリジナルグループが蘇ってきている。取り分けハイチコンパとは相似形の流れを汲むコンゴルンバのケケレやエル・コンゴのプロジェクトは予想以上の反響を呼んだ。この夏のミニ・オール・スターズ来日予定メンバーを見ると約半数がスタート時の70年代から80年代にかけてクレジットされていたメンバーで構成され、オリジナルなサウンドを今の時代性の中で再現する方向を打ち出そうとしているようである。コンパの父、ヌムール・ジャン・バティストのナンバーも演奏されるだろう。ダブルアコーディオンの編成も懐かしくも新しいサウンドを提供してくれるに違いない。気がつくと、世界中を駆け巡り大情況の分析に時間をずいぶん使ってしまったが、ご紹介させていただいた関連する音楽やアーティストに何らか今まで興味を持ったことのある方は多いのではないかと思う。ヘイシャンミュージックの奥深さの中から親近感を持って興味の幅を広げていただければ幸いである。来日するミニ・オール・スターズ。すべての音楽ファンに是非聴いてもらいたいと願っている。いまからライヴがとても待ち遠しい。

Topへ戻る