フランスの各世代に愛された国民的ロック歌手ジョニー・アリディ、永眠

コンコルド広場からマドレーヌ寺院に進むジョニー・アリディの葬列

コンコルド広場からマドレーヌ寺院に進むジョニー・アリディの葬列

葬儀ミサのあったマドレーヌ寺院前

葬儀ミサのあったマドレーヌ寺院前

12月6日に74歳で亡くなったジョニー・アリディの葬式が12月9日に行なわれ、ファンと最後のお別れをした。正午前に葬列がシャンゼリゼ大通りを凱旋門からコンコルドまで下って葬儀ミサの行なわれるマドレーヌ寺院に進んだ。フランス全国から詰め掛け、朝6時から寒さの中じっと待機するファンたち。その人波はとどまることを知らない。テロ警戒中でもあり、警備にあたる警官は1500人に上った。
ゆっくりシャンゼリゼ大通りを下るジョニー・アリディの白い柩を載せた車をエスコートするように後続する約700台のオートバイ。革ジャン姿で颯爽とオートバイにまたがるジョニーのイメージそのものだ。沿道を埋め尽くしたファンの拍手もオートバイのモーターのうなる音にかき消されるほどである。シャンゼリゼ大通りがこれほどの数のオートバイで埋め尽くされたのは初めてだ。葬列を待ち構えるマドレーヌ寺院前の特設ステージではジョニーのバンドが代表曲を演奏し、ファンたちが大声を張り上げて歌う。集まったファンの数は数十万人、周辺は身動きできないほどだ。寺院前でマクロン大統領が弔辞を述べた。
60年代初めにロックンロールでデビューしたジョニー・アリデイはアメリカン・ドリームをフランスにもたらした。金髪で碧眼の容姿、芸名も英語風のハリディからフランス語の発音のアリディとなってフランスの若者の心をとらえた。65年に結婚したシルビー・バルタンと共に「イエイエ」時代を築く。それから半世紀という長きにわたって歌い続けたジョニー・アリディを自らの人生にオーバーラップさせたファンたちも多い。移りゆくフランス社会を映し出す鏡でもあった。街頭インタビューに答える人々の口から、「ル・ペニタンシエ」(1964年)、「ジュ・トゥ・プロメ」(1987年)、「マリー」(2002年)などジョニーの代表曲がごく自然にこぼれる。熱烈なファンでなくともジョニーの曲はフランス中に溢れ、振り絞るように歌うその声が脳裏に残る。
大半のフランス人にとってはまるで家族の一員のようなのだ。歌手として、俳優として活躍したジョニーは生い立ちから5度の結婚の私生活までメディアに騒がれ、作り上げられた国民的スターという虚像。レコードやコンサートチケットなどジョニーに関するものすべて収集するコレクター、髪型、着衣や入れ墨にいたるまで完璧にジョニー風にするファン、そっくりさんが開くコンサートだってある。
そうして幸せな気持ちにさせてくれたジョニー・アリディはカリブ海の仏領サン・バルテルミー島の海の見える墓地に埋葬された。これでやっとファンから解放されたのかも知れない。合掌。
(パリ●植野和子)


こちらの海外ニュースは月刊ラティーナ2018年1月号に掲載されています。
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