ブラジル日系文学を多元化した〝孤高の作家〟松井太郎、永眠

松井太郎氏 ©ニッケイ新聞

松井太郎氏
©ニッケイ新聞

かつてコロニア文学といわれたブラジル日系文学は、「加害者不明の被害者の文学であり、小児病的抽象を行う脱色文学である」とまで論難されたこともあったが、今でも試行錯誤が継続されている文学活動といってよい。そんな文学界のなかでも一つのジャンルに限定されず多面的な作品をいくつも発表してきたことで、特異の位置を占めてきた孤高の作家・松井太郎氏(1917~2017)が、9月1日永眠された。享年99歳。あと1か月で100歳を迎えるところであった。
松井文学の特徴その1は、物語性の巧みさというか、ストーリーテリングのうまさである。例えば、長編小説『うつろ舟』。この主人公は内陸の僻地で暮らす現地人化した日系二世で、彼と日本からきた撮影クルーとのあいだの、人種偏見&言語差別主義がもたらす喜劇的ハプニングの描写、ストーリー展開はこの作品の文学的クオリティーを示している。特徴その2は、日系文学なのに非日系人を主人公とする作品が少なくないことだ。
『堂守ひとり語り』の主人公は、カヌードス戦争(宗教的千年王国運動)の残党の孫であり、『野盗一代』ではカンガセイロ(義賊的野盗)の親分ランピアゥンを語り、そのランピアゥンに先行して主としてパライーバ州内陸部を荒らし回ったアントニオ・シルヴィーノの独白を模した『野盗懺悔』では、老いたシルヴィーノが自らの半生を語るスタイルだが、翻案というよりも創作だ。『犰狳物語』は擬人化したアルマジロの独白でノルデスチ住民の宗教性と自然(旱魃)を描き、井伏鱒二の『山椒魚』を彷彿させる。
こうした日系文学の枠を軽々と超越した文学世界を松井太郎が構築するようになるのは、家業である農業を卒業して隠居してからであり、90歳になっても新しい文学フロンティアを開拓していた実績は、再評価されるべきだ。
この遅咲き作家については、西成彦・細川周平編集による二巻本(『ブラジル日本人作家松井太郎小説選うつろ舟』2010年、『ブラジル日本人作家松井太郎小説選・続 遠い声』2012年、いずれも松籟社)のおかげで、主要作品は読むことができる。
また忘れてはならないのは、この出版に先行して映像作家岡村淳氏が映像記録(「松井太郎さんと語る」)を残したことと、2008年時点では超限定版しかなかった松井文学作品群を“写経”によって岡村氏自身のブログにアップ公開したこと、だ。この先駆的作業の意義は果てしなく大きい。合掌。
(サンパウロ●岸和田 仁)


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