フアン・ガブリエルの一周忌 北・中米各地で記念追悼イベント

フアン・ガブリエル

フアン・ガブリエル

8月28日、フアン・ガブリエルの一周忌を迎え、その前日が日曜であったことから北は米国からご当地メキシコはもちろん中米各地でさまざまな記念追悼のイベントがあった。特別なイベントが組まれなかった国でもマスコミ各紙は改めてガブリエルの業績を称える特集や記事を掲載しており、あらためて彼の影響力の大きさ思い知る。
筆者がメキシコに在住をはじめた90年代後半、ガブリエルの音楽活動はカンシオン・ランチェーラ(マリアッチ)に全面的に比重を掛けた時代だった。ポップス歌手としてデビューし、やがてメキシコ音楽のランドマークのカンシオン・ランチェーラの世界に果敢に挑戦し成功を収めたというだけでなく、彼の作詞・作曲家としての才能はホセ・アルフレッド・ヒメネス亡き後、しばらく新曲ということでは停滞していたその世界に次々と時代にふさわしい楽曲を提供していっただけでなく、スペインの大御所ロシオ・デュデカルをランチェーラ歌手として導き入れた功績も大きい。そして、メキシコ中心部にあるマリアッチの聖地ガリバルディ広場に、その功績を讃え、銅像が建立された時期でもあった。「ククルクク・パロマ」の名唱で知られ、世界的な名曲として育てた女性ランチェーラ歌手ローラ・ベルトランに次ぐ銅像の建立であった。
この時代の代表的なアルバムは皆、ランチェーラだ。そして、その傑作はロシオ・デュデカルをゲストに迎えての国立芸術劇場における2枚組の実況録音盤であった。
ガブリエル作品はニューヨーク・サルサのマーク・アンソニー、ロック・エスパニョーラを象徴するマナやハグアレス、パナマのレゲトン歌手エル・へネラル等、国境を超え、ジャンルを超えて飛翔した。
晩年というには早すぎる死であった(享年66歳)がすでに声量は落ちていた。歌手としての活動は必然、少なくなったが、その一方、社会福祉活動家として実りある活動をつづけていた。貧困者が拭き溜まる米墨国境の町にストリートチルドレンたちの宿を作り継続的な救済活動をつづけ、学校を建設したりしている。社会慈善家ではあったが、社会改革者ではなく、メキシコ政治を長いこと独裁した右派・制度的革命党(PRI)の熱心な支持者であったことは良く語られた。
しかし、そうした政治的姿勢に関わらず党派を超えて愛聴されていた国民的歌手であった。今日もまた多くの家庭でガブリエルの歌が流れていることだろう。
(メキシコシティ●上野清士)


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