今年10回忌のグレゴリ・ルマルシャル、両親が設立した基金でなお生き続ける

グレゴリ・ルマルシャル基金 公式facebookより

グレゴリ・ルマルシャル基金 公式facebookより

2004年、彗星のように現れて瞬く間に逝ってしまったグレゴリ・ルマルシャル。24歳になる直前だった。その成熟しきれない少年のような容姿とボーカルでファンを魅了した。彼の命日にあたる4月30日、仏民放TF1局で2時間近くにおよぶルポタージュが放映された。10年も経てば忘れ去られてしまうのが常のこの世界だが、ルポでは彼の幼少時代から生きた証としての音楽活動の映像を随所にちりばめながら、彼の死後、両親が設立したグレゴリ・ルマルシャル基金の全国規模のキャンペーンの様子が紹介された。

グレゴリ・ルマルシャルは生後20ヶ月の時に嚢(のう)胞性腺維症という遺伝性疾患の診断を受けた。これは白人に高い頻度で見られ、日本人などアジアやアフリカ人にはきわめて稀だという。頻繁に呼吸障害をおこすこの病気と背中合わせに生きていたグレゴリは普通の子供たちのように通学はできなかったが、バスケットボールのトレーナーをしていた父の影響もあってスポーツ万能、12歳の時にはペアで踊るロックダンス・コンクールで優勝する等、溢れんばかりの両親の愛情を受けて成長した。歌うことも好きで、前述のテレビ局が主催する2004年度の「スター・アカデミー(スター養成合宿番組)」に参加。16週間にわたる歌とダンスの合宿生活も無事にこなし、同年12月に行なわれた決勝選で優勝した。そのご褒美として2005年4月、念願のデビューアルバム「Je deviens, moi(僕は、僕になる)」をリリースし、2006年1月のNRJミュージック・アワードで新人賞を獲得している。2006年はスター・アカデミー卒業生との全国ツアーやオランピア公演などに全力投球。その疲れがもとで2007年に入ってから呼吸困難で酸素吸入に頼る毎日が続いた。唯一の頼みの綱は肺移植だったが、臓器の提供を待ちわびながら2007年4月30日に永眠した。

グレゴリ・ルマルシャル基金は嚢胞性腺維症という難病を広く一般に知らせることを目的に彼の死後に設立された。集まった寄付金やグレゴリ・ルマルシャルのCDや関連書籍の売り上げはこの病気で苦しむ患者の病室のリフォームや介護などの質の向上を図り、治療中いくらかでも快適に過ごせるようにするための費用にあてられている。フランスの法律では生前に臓器提供拒否の意思を書式または家族を通じて表明しない限り同意したものとみなされるが、2015年度では臓器提供を待つ患者が2万人以上いるのに対し移植件数は約5700件であった。同基金では臓器提供促進キャンペーンも繰り広げている。息子を亡くした両親にとってこの基金の活動がどれほど勇気付けられ、生きる支えになっているかが痛いほどわかる。グレゴリ・ルマルシャル、死してなお生き続けている。

(パリ●植野和子)


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