遠藤周作の『沈黙』と映画、コスタリカ・ホンジュラスで話題に

映画『沈黙 -サイレンス-』ポスター

映画『沈黙 -サイレンス-』ポスター

最近、コスタリカ、ホンジュラスの新聞に相次いでマーチン・スコセッシ監督の新作『沈黙』(現在、日本公開中)が話題になっており、同時に遠藤周作の原作も再認識されているようだ。

『沈黙』は、長崎の僻村を舞台に隠れキリシタンと、すでに禁教とな っている日本に潜入して捕縛されるイエズス会士の物語である。遠藤文学の同作の骨格を支えるのは、仏教が根付いた土俗的な風土のなかでカトリックがどのように受容され排斥されていったかを辿ることで日本論とするものだろう。イエズス会士と日本人信徒の交流、弾圧する知識層の役人たちを交錯させながら描いた名作は1966年に上梓されて以来、いまも読者を失わない。しかし、カトリック作家・遠藤の文学はその主題に関わらずカトリックが根付いたラテンアメリカですら、その存在は知られていなかった。

映画はスコセッシ監督、構想28年の末に昨 年、完成させた大作。日本では1971年に篠田正浩監督が制作していて、当時、好評を得ているが、海外で広く知られることにはならなかった。

スコセッシ監督は、マーケティングを考慮し、先行上映を法王庁にフランシスコ法王に臨席を乞い、合わせて法王庁のイエズス会司祭たちを中心に集めた。ホンジュラスは法王選挙に関わる大司教を輩出する。中米のマスコミはヴァチカンでの試写会に参加した司祭たちの言葉、感想を引用しながら『沈黙』を紹介する。

ラテンアメリカでは、日本におけるカトリック信徒への過酷な弾圧、外国人司祭たちの殉教の実態などは、メキシコの一部の知識人、司祭たちが知るぐらいでほとんど知られていない。メキシコ首都郊外のクエルナカバの大聖堂に、長崎で殉教したメキシコ人司祭の像が描かれている。

ヴァチカンで先行上映され、法王も参観したとなればカトリック諸国では大きな宣伝効果をもたらすが、今回の上映はイエズス会士として史上はじめて法王となったアルゼンチン出身のフランシスコ猊下の影響が大きい。ちなみにラテンアメリカでのカトリック布教の主たる担い手はフランシスコ会、ドミニコ会であったが、20世紀後期、貧者の立場にたって活動し、時に法王庁から指弾されたり、破門にあった聖職者の多くがイエズス会士であった。フランシスコ法王も社会正義を強く訴える改革者だが、同時 に、妊娠中絶や避妊には伝統的な批判者の立場にある。

(コスタリカ&ホンジュラス●上野清士)


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