スペインでも進む 80年代パンク・シーンの再評価

80年代マドリッドのカウンターカルチャーを扱ったドキュメンタリー 『Lo que hicimos fue secreto』。

80年代マドリッドのカウンターカルチャーを扱ったドキュメンタリー
『Lo que hicimos fue secreto』。

 

今年、パンク発祥の地イギリスのロンドン市が行うパンクカルチャー40周年記念企画が話題になったが、スペイン国内でも80年代のパンク/ハードコアへの注目が高まっている。その筆頭が、フェルミン・ムグルサの参加で知られるバスク・ラディカル・ロック。その主役であったエススコルブト(Eskorbuto)、ラ・ポヤ(La Polla)、コルタトゥ(Kortatu)へのオマージュであるツアー『Esto no es Rock Radical Vasco』が2015年の末にバスクからスタートして以来、国内各地で大成功を収め、すでに2017年春まで継続が決まっている。

こうした流れの背景には、スペインの80年代パンク/ハードコアは若者だけでなく、社会そのものに大きな影響を与えたムーブメントだったという現実がある。当時のスペインでは四十年近く続いたフランコ独裁体制を過去のものとして、一刻も早く「欧州の先進国」となることを目指した社会労働党政権が矢継ぎ早な改革を進めており、社会全体が急速に変化していた。そんな状況の中で、大人が描く未来像に違和感を持った若者を惹きつけたのが「Do It Yourself(自身でやる)」というコンセプトだった。空き物件をスクワット(占拠)して自主運営スペースを作り、自主発行のファンジンを通じて世界各地のパンク・ムーブメントとつながるネットワークを築く……。こうして、社会の片隅に自分たちが望む世界を出現させていった。

この動きは国内各地で同時多発的に発生したものだったが、バスクやカタルーニャのシーンが自治運動との関係など政治的な背景を含めた文脈で盛んに取り上げられてきた一方で、首都マドリッドのシーンは同時期に起こった民主化後の自由な空気を象徴する若者のムーブメント「モビーダ・マドリレーニャ」の陰に隠れた存在となっていた。しかし、最近こうした状況にも変化が現れている。要因はいつくかあるが、その一つは各地で住民自治勢力による「変革の市政」を生んだ2015年5月の地方統一選挙だろう。変革の市政の一角を担うマドリッド市長カルメナの誕生を支えたのは、紆余曲折を経ながらも80年代から続いてきた自主運営スペースを中心に築かれた住民のネットワークだったのだ。『Lo que hicimos fue secreto』監督ダビッド・アルバレスの「あのパンク・ムーブメントがなければ、今のスペインは全く違ったものになっていただろう」という言葉が、大きな説得力を持って思い出される。

(バルセロナ●海老原弘子)


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