11月18日、「リュイス・リャックを囲んで」というタイトルでパリ第四大学カタルーニャ語学科主催、ラモン・リュイ文化センター協賛の講演会がソルボンヌの校舎であった。今からちょうど10年前、デビュー40周年を迎える前の2006年11月22日にリュイス・リャックはパリ・オランピア劇場でフランスのファンに別れを告げる「さよなら」公演を行ない、翌年3月23日と24日にカタルーニャの生まれ故郷、ヴェルジェスで1万人以上のファンに囲まれて感動的な最後の「さよなら」公演の後、きっぱりと歌手生活を終えたのであった。これまでのライヴやアルバムの大半がユーチューブにアップされている。
この日、200名は収容できるソルボンヌの階段教室は世代を超えたカタルーニャ語学科の学生や同窓生、在仏カタルーニャ人たちで溢れかえっていた。講演会はモニカ・グエイ教授がリュイス・リャックの経歴を説明しながら、その度に彼にコメントを求める形で始まった。
「1968年に発表した曲『レス タカ』があっという間に反フランコ体制のシンボル歌となったのはまったく運命のいたずらとしか言いようがない。そして音楽活動を禁止され、1975年にフランコが亡くなるまでの5年間パリで過ごしたのも偶然の賜物だ。パリでデビューする機会が得られただけでなく、スペイン内戦で敗れた後フランスに逃れ、厳しい生活を送っていた元共和派の老兵らの話を聞くことができたのは何よりも得がたく、僕の血となり、肉となった」と回想する。
それらの人々の記憶をもとに、また敬意を表す意味でリュイス・リャックは歌手引退後の2012年と2014年にスペイン内戦前後の時代を舞台にした小説を二冊上梓し、次世代にカタルーニャのアイデンティティを語り継ぐメッセージを送り続けている。
歌手現役時代のリュイス・リャックのステージは歌だけでなく、ユーモアと政権への皮肉をたっぷり込めた語りが半々だったが、今回の講演会でも彼のトークががぜん面白く、質疑応答ではカタルーニャ語とフランス語が飛び交い、歌は歌わなくとも熱気あるステージを再現してくれたかのような濃密な二時間半であった。
出席者からフランス側のカタルーニャの現状についての発言があったが、「いやフランス共和国の一員として十分恩恵を受けている」と明言を避け、彼の喚起するカタルーニャ問題は「あくまでもスペイン側のこと」とカタルーニャ州議会議員としての顔を見せた。
これに先立つ10月21日にはパリ・アラブ文化センターで13世紀のマジョルカ島出身の哲学者ラモン・リュイにちなんでマリア・デル・マールのコンサートがあった。共に70代に差しかかろうとする二人が活動内容は違えど現役で頑張っているのは嬉しい限りだ。
(フランス●植野和子)
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