加藤登紀子 ピアフへの想いを込めたパリ公演

11月3日に開催されたパリ公演©Takehiko INAGAKI

 

ようやく秋の訪れを感じる11月3日、パリ・シャンゼリゼに近いサル・ガヴォーで加藤登紀子のコンサートがあった。座席数約千席、ピアノや室内楽などクラシック専門の由緒あるホールだ。デビュー50周年とピアフ生誕百年を記念した一夜限りの公演である。昨年オランピア劇場で企画していたがパリ同時多発テロが起こったため延期されたらしい。

会場前は開演時間前から黒山の人だかり。これだけ日本人が集まったのも珍しい。中に入ると「振る舞い酒」のコーナーがあった。ステージ前の座席につくと後ろからフランス人女性に話しかけられた。振る舞い酒で目は潤み、ほろ酔い加減だ。在仏日本人会のシャンソン教室に通っているファンだった。

さて、ステージはピアノ、バイオリン、パーカッションの伴奏で第一部が加藤登紀子の持ち歌だ。華やかな「百歌百会」やギター片手にしんみり歌った「ひとり寝の子守唄」、フランス語の「オペラ」もあった。第二部は一転して赤をあしらった魔性を帯びた黒い衣装でピアフの生から死までの人生を劇的に表現したオマージュだ。「愛の讃歌」や「私は後悔しない」だけでなく「名前も知らないあの人へ」「ペール・ラシェーズ」などピアフに寄せた自作曲も織り交ぜストーリーを展開した。アンコールで「知床旅情」が披露されるや聴衆が一体となって大合唱になった。2時間近くのライヴ、一秒たりとも無駄な動きのなかった加藤登紀子のアーティストとしてのプロ意識をことさら感じたステージであった。

「私の一番の歴史的な出会いはダミア。低音コンプレックスだった私を奮い立たせてくれたのはダミアの声だった」と翌日のインタビューで打ち明けてくれた。デビューの契機はピアフだったが、6月に出版した『愛の讃歌、エディット・ピアフの生きた時代』を執筆中に色々調べていたとき「ピアフが最初に録音した曲が ダミアの「異国の人」だったので飛び上がるほど嬉しかった。1989年、ピアフのお墓参りをした際に私がこだわるパリ・コミューンの壁が近くにあり因縁を感じたわ」。ピアフを通じて点であったものが一本の線につながった瞬間だった。

1971年に始まった12月恒例の「加藤登紀子ほろ酔いコンサート」は今年も全国を駆け巡る。2016年度ツアーは8都市12公演(沖縄、横浜、広島、佐賀、京都、名古屋、大阪、東京)開演前の「振る舞い酒」はパリ公演と同じ、リラックスして「心に思うことは思い続けることがとても大切」と言う彼女のライヴが満喫できる。問い合わせはトキコ・プランニング03-3352-3875。

(パリ●植野和子)


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