ポルトガルで最も愛された、国民的ロックスター、ゼ・ペドロ死去

ポルトガルで最も愛された国民的ロックスター、ゼ・ペドロ

ポルトガルで最も愛された国民的ロックスター、ゼ・ペドロ

ポルトガルで最も愛されたロックアイコン、ゼ・ペドロことジョゼ・ペドロ・アマロ・ドス・サントス・レイスが11月30日、リスボンの自宅で死去した。享年61歳。
ポルトガル人に「君の国で一番有名で人気のロックバンドは何?」と聞けば、その人の音楽趣味が何であれ、いや音楽に興味がない人でさえ「シュットス」と即答するであろう国民的ロックバンド、シュットス&ポンタペス(Xutos & Pontapés)のギタリスト、そして結成メンバーとして知られている彼。リスボン生まれだが、幼少期には軍人であった父に伴って家族で現在の東ティモールに住んでいたこともある。1978年、英語圏のパンクブームに触発されたゼ・ペドロが新聞にメンバー募集の広告を出したことがバンド結成のきっかけで、以来ほぼオリジナルのメンバー編成で39年に渡り第一線で活動を続けてきた、ポルトガル唯一無二のスタジアムロックバンドだ。
個人の活動では、地元ラジオ局での冠番組「ゼ・ペドロ・ロックンロール」をはじめとするラジオDJとして知られており、ポルトガルのロックを有名無名問わず紹介した彼の番組に影響を受けたと公言する若手ミュージシャンも少なくない。また、笑顔を絶やさない明るくフレンドリーな人柄から尊敬の対象となる一方で、シュットスの解散危機やロックンロールを地で行くライフスタイルが祟り薬物乱用からC型肝炎に感染。2011年には肝臓移植手術を受け、闘病生活を送りながらも音楽活動を続けていたが、帰らぬ人となった。
その死を悲しんだのは、ファンや音楽関係者だけではない。リスボンに本拠を置くサッカーチームのベンフィカは、生前熱心なベンフィキスタ(ベンフィカファン)であったゼ・ペドロに哀悼の意を表し、翌12月1日の対エストリル戦のホームゲームでは試合前に1分間の黙祷を行った。また、共和国議会も追悼のコメントを発表し、ジェロニモス修道院で行われた葬儀ミサにはバンドメンバーや家族らに加えリベイロ・デ・ソウザ大統領が出席し、会場外に詰め掛けた何百人ものファンが拍手で別れを惜しんだ。
独裁政権を打倒したカーネーション革命の4年後に結成されたシュットスは、そしてゼ・ペドロは、自由の象徴でもあった。「ポルトガル語の、ポルトガル人による、ポルトガル人のためのロックンロールバンド」に生きたミュージシャンがひとり、この世を去った。
(ポルトガル●山口詩織)


こちらの海外ニュースは月刊ラティーナ2018年1月号に掲載されています。
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