チズカ・ヤマザキ監督とペルナンブーコとの浅からぬ関係

チズカ・ヤマザキ監督

チズカ・ヤマザキ監督

日本人には、チズカ・ヤマザキ監督の映画作品といえば、『ガイジン』(1980年)、『ガイジン2』(2005年)という二つの大作がまず思い出される。前作で、コーヒー畑へ入植した初期移民が現地社会へ溶け込めずに起きる様々な悲喜劇を描き、後作では、1930年代にパラナ州北部に入植した日系家族の4代目が日本へデカセギに行って“逆差別”を受ける、という日系社会の現状を見事に映像化したからだ。

だが、巨匠ネルソン・ペレイラ・ドス・サントスの助手として映画人生をスタートしたヤマザキ監督は、まさしく師匠の“シネマ・ノーヴォ精神”を受け継ぐ多文化受容主義者であり、映像作品のテーマは日系人問題に限定せず、大衆向け商業映画やTVノヴェーラも含め、映像分野における垣根を自由に超えて活躍してきたことは周知の通りである。長編映画部門での最新作『アマゾンの魔術師』は2008年から撮影を始め、マラジョ島の女祈祷師を通して先住民問題を追究した作品で、配給元が未定なるも今年中に公開予定だ。

そんなヤマザキ監督がペルナンブーコと出会ったのは1982年のこと。ブラジル近代史における転換点となった「1930年革命」を舞台とした、政治と恋の歴史映画『パライーバ・ムリェール・マッショ』(1983年)は当初、パライーバ州でロケ予定であったが、州政府が動いてくれなかったため、やむなくペルナンブーコ州関係者に泣きつき、その結果レシーフェ主体でロケが行われ、この名作が完成された、という経緯があった。

この時知り合った作˜家パウロ・サントス・ヂ・オリヴェイラから「1817年革命」を舞台とする歴史小説『革命のフィアンセ』がヤマザキ監督あてに送られてきたのが10年前だった。ブラジル独立(1822年)の5年前に起きた「自由民権革命」をこの著で学んだヤマザキ監督だったが、巨額資金を手当てする目途が立たなかったため、長編映画化案は断念していた。

そうこうしているうちに「革命200周年」の今年となり、テレビ向けドキュメンタリー・ドラマ作品(50分)『1817年、忘れられた革命』を制作することで関係者との間で合意が成立、5月4日、文部省管轄下のTVエスコーラとの仮契約にこぎつけた。会場(ジョアキン・ナブーコ財団)にはペルナンブーコ出身のメンドンサ文部大臣も臨席している。

このテレビ作品は、9月にはテレビ放映される予定なので、ヤマザキ監督としては、これから文字通り“ペルナンブーコ漬け”となること請け合いだ。
(レシーフェ●岸和田仁)


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