ブレーガの帝王ヘジナルド・ホッシ、ドキュメンタリー映画化へ

2013年エストレモス市のショーに出演中のヘジナルド・ホッシ

2013年エストレモス市のショーに出演中のヘジナルド・ホッシ

ムジカ・ブレーガとは、庶民の日々の喜怒哀楽やロマンチックな恋物語を歌うブラジル版ブルースだが、MPB主流派からは、格調の低い下品な低俗音楽とけなされたことも事実だ。一方、ブレーガ側からは、「お高くとまったMPB」を批判する動きもあったが、なかでも「インテリ受けを狙ったMPBの変節」を厳しく糾弾したのが、「ブレーガの帝王」と呼ばれた、レシーフェ出身のヘジナルド・ホッシだった。

大学の工学部に入学し、デモシカ数学教師をやって生活の糧を得ていたヘジナルド青年が、フランク・シナトラに心酔して歌手に転進し、最初のアルバム「パン」をリリースしたのが1966年だ。シンガーソングライターとして独立してから、ノルデスチ庶民層のココロをとらえたセンチメンタルな歌を数多く生み出したが、なかでも、イソップ物語からタイトルを採った「キツネとブドウ」(1982年)や「レシーフェ、わが街」(1994年)がヒット作となり、1990年代にはいるとリオやサンパウロでも人気が上昇して知名度もあがっていった。

チェーンスモーカーだったヘジナルドが肺ガンで亡くなったのが、2013年12月21日(享年69歳)だったが、彼のファンでもあったレシーフェ市長は、三日間の公式服喪を宣言することで追悼の意を表明したのであった。

それから4年経ち、ヘジナルドを巡るドキュメンタリー映画が企画され、4月に入って撮影も開始している。仮称タイトルは、「ヘジナルド・ホッシ:わが愛」で、監督はジョゼ・エドゥアルド・ミグリオリ、脚本はDJドローレス(本名:エルデル・アラガゥン)だ。

ミグリオリ監督は、ドキュメンタリー映画「シコ・サイエンス:電脳カランゲージョ」(2016年)で脚光を浴びている若手映画人だが、この作品は三部構成(①泥んこ②カオス③レガシー)で、シコがジョルジ・ドゥ・ペイシェと出会い、音楽シーンに登場して、マンギビート旋風を巻き起こす経緯がコンパクトに仕上がっている佳作と評価されている。

同監督が、今悩んでいるのが、1960年代のヘジナルドの映像記録が極めて少ないことだ。地元紙に、「我々は自国文化の歴史やメモリーを保存する慣習がない、ブラジルというところはメモリーへ敬意を払っていない」とぼやいているが、幸いなことに、ヘジナルドの長男ホベルトが顔も声も父親譲りで、しかも演劇学を修めた俳優であることから、彼を父親役で登場させる、という苦肉の策で乗り切ることになりそうだ。

(レシーフェ●岸和田 仁)


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