マリネラ界の最重要歌手のひとり〝カナリオ・ネグロ〟の伝記本

著書を手にするルイス・ロカ・トーレス博士©Oscar Chambi

 

ニコメデス・サンタ・クルスが「マリネラの最高の歌手」と讃えたマヌエル・キンタナ(1880年〜1959年)は、カナリアのような甲高い歌声の持ち主の黒人だったことから、〝カナリオ・ネグロ(黒いカナリア)〟と呼ばれていた。

多くのクリオーヤ音楽家たちに素晴らしい歌手だったと評されたにもかかわらず、彼に関する情報はほとんどなく、長年、その生涯は謎とされてきた。これは、ペルーで黒人奴隷制度が廃止された1854年直後のアフロペルー文化に関する情報がほとんどないこと(差別が引き続き残っていた)、また、その後のチリとの間に勃発した太平洋戦争(79年〜83年)で、ペルーが敗北したため、20世紀初頭まで国内が戦後の混乱状態にあったことが原因と考えられる。

しかし、アフロペルー文化研究の第一人者であり、北部のサーニャ村でアフロペルー博物館の館長を務めるルイス・ロカ・トーレス博士が、先日、この〝カナリオ・ネグロ〟の伝記本を発表した。

著書では、クリオーヤ音楽研究家だったホセ・ドゥランや同音楽界の伝説的存在でもあるアスクエス兄弟、昨年逝去した音楽家マヌエル・アコスタ・オヘダ、キンタナを師匠と呼ぶ歌手のアリシア・マギーニャなどのコメントを結集し、それまで不明とされてきたキンタナの音楽家としての生涯を再構築している。また、調査当時95歳で、キンタナが参加する『ハラナ(クリオーヤ音楽家たちが歌い、躍る集まりのこと)で歌っていたというサビーナ・フェブレスの証言により、今まで明らかになっていなかった1930年代のクリオーヤ音楽の世界も垣間みれるほか、さらに、彼の自作の詞や当時歌っていたマリネラの歌詞をも網羅していることから、本書は、20世紀初頭のマリネラ・リメーニャの音楽史を知り得る非常に貴重な資料であると言える。

なお、本伝記によると、1900年初頭にリマに移住したキンタナは、当初スペインのサルスエラを演じるグループでコーラスを担当していた。その後、クリオーヤ音楽家たちが集まるリマック区のカジェホン(日本の長屋のような集合住宅)〝マランボ〟に連れて行かれたことがきっかけで、この世界に入ったそうだ。

そして〝カナリオ〟の名の通り、バリオス・アルトス地区、ラ・ビクトリア区、ブレーニャ区、バランコ区の各地で開かれる『ハラナ』を飛び回っていたという。

(ペルー●川又千加子)


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