ロンドンに4人のファディスタが集結 〝ファド・シリーズ〟で4人の若手がライヴ!

2017年6月23日
ルイーザ・ホーシャ

ルイーザ・ホーシャ

今やファドの世界的スターとなったマリーザ。イギリスのワールド音楽ファンの間でも、彼女の人気は相変わらず根強い。
2001年に『Fado em Mim』(私の中のファド)でデビューしたマリーザは、翌年の夏にイギリス最大のワールドミュージック・フェスティバルWOMADに初出演。ブロンドのベリー・ショート・ヘアに、ドレスの下には縞模様の長靴下を履いたポップな出で立ちで現れ、多くの聴衆を一気に虜にし、ファド旋風を巻き起こした。以来、新世代ファドの担い手としての活躍は周知の通りだ。
マリーザよりも少し若い世代の歌手では、アナ・モウラも人気だ。2007年にローリング・ストーンズと共演して以来、ヨーロッパのみならず北米や南米でも活躍しているのが彼女だ。
さて、イギリスのワールドミュージック雑誌「Songlines」が〝ファド・シリーズ〟と題し、若手ファディスタたちを紹介するライヴを開催する。
ピザ・レストランのチェーンピザ・エクスプレスの協力を得て、ロンドンのキングス・ロードにあるレストランで展開されるこのコンサートには、6月末から9月にかけて4人の若手が登場。まず第一弾は、リスボン生まれのルイーザ・ホーシャ。12歳からファドを歌い始め、両親に反対されながらも有名なファド・ハウスで歌い続けてきた。ポルトガルでは2枚のアルバムをリリースしている。2人目は同じくリスボン出身のラケル・タヴァーレス。音楽好きな一家に生まれ、12歳で有名なファド・コンテストのチャンピオンに輝いた。国内では現代のファドをリードするファディスタの一人だ。3人目はイギリスでは初登場となるドゥアルテ。ポルトガル南部のエヴォラ出身で、もともとは遊びで歌い始めたという彼だが、2004年から着々とキャリアを重ね3枚のアルバムをリリースし、老舗ファド・ハウスで歌いながら国外でも活動している。そして4人目は、ポルトガル第二の都市ポルト出身で2003年からイギリスに在住するクラウディア・アウローラだ。昨年には故郷に捧げるアルバムをリリース。母国の伝統により目を向け、イギリス国内で活動している。
ピザ・エクスプレスではこういったワールドやジャズのライヴを度々開催し、音楽関係者や耳の肥えたリスナーが集まる機会でもある。果たして今後第二のマリーザが生まれるかどうか…… 乞うご期待。
(ロンドン●岸 由紀子)


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第22回ポルトガル版ゴールデングローブ賞グローボス・デ・オウロの授賞式

2017年6月20日
HMBとカルミーニョ

HMBとカルミーニョ

先月21日、リスボン中心部のコンサート会場コリゼウ・ドス・レクレイロスにおいて、第22回ポルトガル版ゴールデングローブ賞グローボス・デ・オウロの授賞式が行われ、昨年映画、音楽、ファッション、スポーツなどの各分野で活躍した著名人が表彰された。

最優秀映画賞には日本でも公開されたジョアン・ペドロ・ロドリゲス監督の『鳥類学者』などがノミネートしていたが、1970年代のアンゴラ独立戦争を舞台にしたアントニオ・ロボ・アントゥーネスの小説が原作のイヴォ・フェレイラ監督作品『Cartas Da Guerra(原題/日本公開未定)』が受賞し話題となった。
音楽部門での受賞者は下記の通り。
▼最優秀楽曲
『O Amor é Assim』HMB、カルミーニョ
▼最優秀ソロアーティスト
カルミーニョ
▼最優秀グループ
カピタン・ファウスト
今年度の最優秀楽曲賞を受賞した『O Amor é Assim』は、リスボンで活動するソウルミュージックユニットHMBがカルミーニョをゲストヴォーカルに迎えて制作したブルーアイドソウル風の軽やかな一曲。「愛ってそういうものよ、少なくとも私にとっては」という明るく伸びやかなカルミーニョの歌声に合わせて、若い男女ダンサーがリスボンの街並みを背景に踊るMVも秀逸で、Youtubeでは360万回以上再生されている。また、カルミーニョはアントニオ・ザンブージョ、クリスティーナ・ブランコらを他の有力候補を退け最優秀ソロアーティスト賞も獲得した。
最優秀グループを受賞したカピタン・ファウストは昨年発表した3作目のフルアルバム『Têm Os Dias Contados』が各メディアのベストアルバムランキングを席巻した若手ナンバーワンのソフトサイケバンド。今年の夏の音楽フェスティバルでは、メインステージやヘッドライナークラスでの出演が決定しており、その人気ぶりを裏付ける受賞となった。
そして、最優秀男性アスリート部門のトロフィーは、もちろんクリスティアーノ・ロナウドに。昨年のサッカー欧州選手権ポルトガル優勝に貢献し、4度目のバロンドールを獲得、更には故郷マデイラ島の国際空港がクリスティアーノ・ロナウド国際空港に改称されるなど、32歳にしてその勢いは止まらない。そして最優秀女性アスリート部門では、昨年リオオリンピックで銅メダルを獲得し、日本のメディアでも「美しすぎる柔道選手」として話題になっていたテルマ・モンテイロが受賞した。(ポルトガル●山口詩織)


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【お詫びと訂正】月刊ラティーナ2017年7月号

2017年6月20日

【お詫びと訂正】

月刊ラティーナ17年7月号 8pの吉本秀純さんの原稿内にて、右下Maria Minerva『Cabaret Cixous』のCDレビューに別のテキストが掲載させてしまいました。

吉本さまと読者の皆さまにお詫び申し上げるとともに、ここに正しいテキストを掲載致します。

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Maria Minervaのコピー

今年10回忌のグレゴリ・ルマルシャル、両親が設立した基金でなお生き続ける

2017年6月16日
グレゴリ・ルマルシャル基金 公式facebookより

グレゴリ・ルマルシャル基金 公式facebookより

2004年、彗星のように現れて瞬く間に逝ってしまったグレゴリ・ルマルシャル。24歳になる直前だった。その成熟しきれない少年のような容姿とボーカルでファンを魅了した。彼の命日にあたる4月30日、仏民放TF1局で2時間近くにおよぶルポタージュが放映された。10年も経てば忘れ去られてしまうのが常のこの世界だが、ルポでは彼の幼少時代から生きた証としての音楽活動の映像を随所にちりばめながら、彼の死後、両親が設立したグレゴリ・ルマルシャル基金の全国規模のキャンペーンの様子が紹介された。

グレゴリ・ルマルシャルは生後20ヶ月の時に嚢(のう)胞性腺維症という遺伝性疾患の診断を受けた。これは白人に高い頻度で見られ、日本人などアジアやアフリカ人にはきわめて稀だという。頻繁に呼吸障害をおこすこの病気と背中合わせに生きていたグレゴリは普通の子供たちのように通学はできなかったが、バスケットボールのトレーナーをしていた父の影響もあってスポーツ万能、12歳の時にはペアで踊るロックダンス・コンクールで優勝する等、溢れんばかりの両親の愛情を受けて成長した。歌うことも好きで、前述のテレビ局が主催する2004年度の「スター・アカデミー(スター養成合宿番組)」に参加。16週間にわたる歌とダンスの合宿生活も無事にこなし、同年12月に行なわれた決勝選で優勝した。そのご褒美として2005年4月、念願のデビューアルバム「Je deviens, moi(僕は、僕になる)」をリリースし、2006年1月のNRJミュージック・アワードで新人賞を獲得している。2006年はスター・アカデミー卒業生との全国ツアーやオランピア公演などに全力投球。その疲れがもとで2007年に入ってから呼吸困難で酸素吸入に頼る毎日が続いた。唯一の頼みの綱は肺移植だったが、臓器の提供を待ちわびながら2007年4月30日に永眠した。

グレゴリ・ルマルシャル基金は嚢胞性腺維症という難病を広く一般に知らせることを目的に彼の死後に設立された。集まった寄付金やグレゴリ・ルマルシャルのCDや関連書籍の売り上げはこの病気で苦しむ患者の病室のリフォームや介護などの質の向上を図り、治療中いくらかでも快適に過ごせるようにするための費用にあてられている。フランスの法律では生前に臓器提供拒否の意思を書式または家族を通じて表明しない限り同意したものとみなされるが、2015年度では臓器提供を待つ患者が2万人以上いるのに対し移植件数は約5700件であった。同基金では臓器提供促進キャンペーンも繰り広げている。息子を亡くした両親にとってこの基金の活動がどれほど勇気付けられ、生きる支えになっているかが痛いほどわかる。グレゴリ・ルマルシャル、死してなお生き続けている。

(パリ●植野和子)


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ジブラルタル海峡をつなぐ映画祭FCAT

2017年6月13日
『フェリシテ』のワンシーン。2017年ベルリン国際映画祭で銀熊賞を受賞している。

『フェリシテ』のワンシーン。2017年ベルリン国際映画祭で銀熊賞を受賞している。

4月28日から5月6日までタリファ(スペインのカディス県)とタンジェ(モロッコ)ではFCAT(タリファ=タンジェ・アフリカ映画祭)が開催された。アフリカと欧州で同時開催される世界にたったひとつの映画祭は、今年で14回目を数え、そのスクリーンを飾った作品の数は千本近くになる。

ジブラルタル海峡の両岸の都市で行われる映画祭を主催するのは、2003年にカディスで産声をあげた非営利団体Al Tarabだ。映画を核とする文化協力によってアフリカの文化をスペインやラテンアメリカに普及させることを目的に設立された。代表Cisnerosは「アフリカの映画人の声を通して、アフリカやアラブ世界の多種多様な現実やラテンアメリカへのディアスポラ(奴隷貿易による強制移住のこと)について一人でも多くの人に知ってもらいたい」と語る。

彼らの活動の柱の一つがFCATであり、今年は9日間で70作品が上映された。長編の最優秀作品賞に輝いたのはフランス=セネガル人Alain Gomis監督『Félicité(フェリシテ)』。コンゴ民主共和国の首都キンシャサのバルで歌手として働く独立心旺盛でプライドの高い女性フェリシテは、天性のリズム感と力強くもメランコリックなメロディで聴衆を魅了していた。そんなある日、息子が事故にあって重傷を負い…。コンゴ人女優Véro Tshandaが演じる勇敢なシングルマザーの物語が、審査員全員一致で大賞に選ばれた。

映画祭に出席したタリファ市長は「海峡は境界線ではなく、文化を通して発展する橋だ」と語ったが、スペインでジブラルタル海峡をつなぐイニシアティブが生まれた背景には、両岸の人々が自由に行き来しながら、同じ海を分かち合いながら暮らしてきた長い歴史がある。例えば、本年の上映作品の一つ『QUIVIR』(Manu Trillo監督)は、ジブラルタル海峡の両岸、アンダルシアとモロッコで、同じようにコルクの木の伐採を生業にする二人の男を主人公として、二つの異なる文化圏が同じ世界を構成していることを示す作品だ。「地中海の難民危機」以来、地中海をまるで天然の防壁のように扱おうとするEUに対する南欧の反発は、こうした「海」についての認識の違いが根本的な原因となっている。

今年は緊密な「隣人関係」を未来の世代につなげるため、モロッコとアンダルシアの子どもが一分間の映像作品製作を通じて交流を行う企画も実施された。要塞化に向かう欧州において、両岸をつなぐFCAT活動は今後さらに重要性を増していくことになるだろう。

(バルセロナ●海老原弘子)


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チズカ・ヤマザキ監督とペルナンブーコとの浅からぬ関係

2017年6月10日
チズカ・ヤマザキ監督

チズカ・ヤマザキ監督

日本人には、チズカ・ヤマザキ監督の映画作品といえば、『ガイジン』(1980年)、『ガイジン2』(2005年)という二つの大作がまず思い出される。前作で、コーヒー畑へ入植した初期移民が現地社会へ溶け込めずに起きる様々な悲喜劇を描き、後作では、1930年代にパラナ州北部に入植した日系家族の4代目が日本へデカセギに行って“逆差別”を受ける、という日系社会の現状を見事に映像化したからだ。

だが、巨匠ネルソン・ペレイラ・ドス・サントスの助手として映画人生をスタートしたヤマザキ監督は、まさしく師匠の“シネマ・ノーヴォ精神”を受け継ぐ多文化受容主義者であり、映像作品のテーマは日系人問題に限定せず、大衆向け商業映画やTVノヴェーラも含め、映像分野における垣根を自由に超えて活躍してきたことは周知の通りである。長編映画部門での最新作『アマゾンの魔術師』は2008年から撮影を始め、マラジョ島の女祈祷師を通して先住民問題を追究した作品で、配給元が未定なるも今年中に公開予定だ。

そんなヤマザキ監督がペルナンブーコと出会ったのは1982年のこと。ブラジル近代史における転換点となった「1930年革命」を舞台とした、政治と恋の歴史映画『パライーバ・ムリェール・マッショ』(1983年)は当初、パライーバ州でロケ予定であったが、州政府が動いてくれなかったため、やむなくペルナンブーコ州関係者に泣きつき、その結果レシーフェ主体でロケが行われ、この名作が完成された、という経緯があった。

この時知り合った作˜家パウロ・サントス・ヂ・オリヴェイラから「1817年革命」を舞台とする歴史小説『革命のフィアンセ』がヤマザキ監督あてに送られてきたのが10年前だった。ブラジル独立(1822年)の5年前に起きた「自由民権革命」をこの著で学んだヤマザキ監督だったが、巨額資金を手当てする目途が立たなかったため、長編映画化案は断念していた。

そうこうしているうちに「革命200周年」の今年となり、テレビ向けドキュメンタリー・ドラマ作品(50分)『1817年、忘れられた革命』を制作することで関係者との間で合意が成立、5月4日、文部省管轄下のTVエスコーラとの仮契約にこぎつけた。会場(ジョアキン・ナブーコ財団)にはペルナンブーコ出身のメンドンサ文部大臣も臨席している。

このテレビ作品は、9月にはテレビ放映される予定なので、ヤマザキ監督としては、これから文字通り“ペルナンブーコ漬け”となること請け合いだ。
(レシーフェ●岸和田仁)


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ポンチョを着たロッカーたち ロス・ローリング・ルアナス

2017年6月7日
常にポンチョを欠かさない、ロス・ローリング・ルアナスのメンバーたち©Los rolling ruanas

常にポンチョを欠かさない、ロス・ローリング・ルアナスのメンバーたち©Los rolling ruanas

アフロカリブや、クンビア、バジェナートといった音楽の宝庫コロンビアから、ポンチョを纏った4人の若者たちから成る異色グループ、ロス・ローリング・ルアナスが登場した。バンド名は、「Rolo=ボゴタ出身者」と、「Ruana=コロンビア中部アンデス高原の農民たちが纏う羊毛のポンチョ」、そして、ロック・バンド、ローリング・ストーンズをもじっている。彼らの音楽は、1970年代に、コロンビアのアンデス高原部の農村音楽と、ポップを融合したグループ、ホルヘ・ベローサ・イ・ロス・カランゲロス・デ・ラーキラから生まれたジャンル=カランガをベースにしながらも、インディー・ロックのような現代感覚に満ち溢れている。それも、レキント、グアチャルカ(ギロ)、ギター、ティプレ(12弦ギター)といった、コロンビア伝統楽器による卓越したアコースティック演奏で表現しているのが凄い。超絶の指さばきと、4人のシンクロ具合に思わず聞き惚れる。

ロス・ローリング・ルアナスは、コロンビア中部のクンディボヤセンセ高原から、首都ボゴタへ移住した人たちを親に持つメンバーによって、2014年に結成された。

2015年に、ローリング・ストーンズや、ビートルズ、レニー・クラヴィッツのカヴァーなどを、カランガ調に演奏する映像をYouTube上にアップしたところ、大反響を呼び、2017年3月には、デビュー・アルバム『La balada de carranguero(カランガのバラード)』をリリースした。アルバム発売後の国内ツアーではソールドアウトとなる会場もあったほどで、BBCスペイン語版や、ローリング・ストーン誌などの多くのメディアにも取り上げられ、ますます、飛躍しそうな勢いだ。同アルバムには、クイーン、システム・オブ・ア・ダウンのカヴァーや、コロンビア高原の大地や伝承をテーマにしたオリジナルを含む10曲を収録。コロンビアのミクスチャー・ロックの代表バンド、ベランディア・イ・ラ・ティグラのリーダー、エドゥアルド・ベランディアと、マヌーシュ・スイング系ポップバンド、ムッシュ・ペリネのヴォーカル、カタリーナ・ガルシアがゲスト参加している。

一般には、トロピカル音楽のイメージが強いコロンビアから現れた、肌寒い高原地帯の農村音楽を届ける、ロス・ローリング・ルアナスは、同国の多様性を表現する。今後が楽しみなグループだ。

(コロンビア●長屋美保)


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先住民に土地の返還を!声を揃えた音楽家の豪華な顔ぶれ

2017年6月4日
「Demarcação Já」の筆頭に登場するのは先住民。文化について歌うジュエナ・チクーナ

「Demarcação Já」の筆頭に登場するのは先住民。文化について歌うジュエナ・チクーナ

土地を侵し、そこに住むものを駆逐し、他からの奴隷を労働力として導入し、それらを虐げ、従えたポルトガル植民者らによって、繁栄の礎が築かれたのが現代ブラジルだ。数世紀に渡って植民地として富を収奪されたその歴史と、搾取した富を元手に、現代に至る世界のヒエラルキーを構築した西洋近代とはコインの裏表のようだ。

4月末にブラジリアの国会前で、参加者4千人を数えた先住民及びその支持団体が土地の返還を求める大規模なデモを行った。それに合わせて、著名な音楽家たちが賛同の意を示す音楽ビデオ「Demarcação Já(すぐに土地の返還を)」が発表された。

この度のデモは、予算の大幅削減により国立先住民保護財団が10年前に南マトグロッソ州検察庁と交わした州内の土地を先住民に返還する取り決めを、履行不可能としたことに対してのものだった。

先住民の土地問題についての思いを歌った音楽家や先住民リーダーの顔ぶれがすごい。マリア・ベターニア、レニーニ、ゼカ・パゴジーニョ、ジルベルト・ジル、ネイ・マトグロッソ、クリオーロ、ゼカ・バレイラなど35人が、様々な先住民社会の映像の合間に個性的な歌と踊りを披露している。

そんな表現巧みなアーティストたちの中でも、一際印象的だったのが、無言でカメラを見つめるだけの“森の哲人”アイルトン・クレナックだった。1987年、クレナックが34歳のときに国会の壇上で、先住民の人権保護を訴えるために、白のスーツ姿で顔をジェニパポの黒い汁で塗りたくるパフォーマンスを行った。それは、国家に対して戦う先住民を象徴する一幕として、未だに色褪せることのないインパクトを残している。あれから30年経った今でもクレナックの眼差しには、鋭さと説得力が宿っている。

映像後半では、ピアノを弾き語るトム・ジョビンが登場。もちろん生前の舞台上での映像だ。ブラジルの自然を愛したジョビンは、そこに生きる先住民について「インディをありのままでいさせてあげて(deixa o índio)」と楽曲「ボルゼギン」で歌った。ジョビンの映像に続いて、参加ミュージシャン皆がその一節を繰り返し歌った。

4月25日のデモは、流血騒ぎで終わった。国会議事堂のバリケードをインディオが破ったことで、軍警察は催涙弾、ゴム弾などを発砲してそれを散らし、幾人かのインディオは弓矢でこれに応戦した。

ブラジル国家が存在する限りインディオは、土地と尊厳を求める戦いを止めないだろう。平和的解決があり得るのかはわからないが、この問題を国内外の多くの人が知るためにも、今回のビデオが広く拡散、閲覧されることを望みたい。

(サンパウロ●仁尾帯刀)


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リカルド・アルフォナ、8ヶ月ぶりのアルバム発表

2017年6月1日
『シルコ・ソレダ』を発表し、メキシコでのツアーを行っているリカルド・アルフォナ

『シルコ・ソレダ』を発表し、メキシコでのツアーを行っているリカルド・アルフォナ

日本のゴールデンウィーク前後、中米地峡諸国の首都では多くの外国人アーティストがツアーを行なっていた。目立ったのは新しい恋人を自家用飛行機に帯同した在ニューヨークのサルサ歌手のマーク・アンソニー、英国のスティングたちだが、グアテマラだけは国民的アーティスト、リカルド・アルフォナの活動を伝える記事がやたらと目立つ。

4月下旬、8ヵ月ぶりの新作アルバム『シルコ・ソレダ(サーカスの孤独)』を発表、つづいて新作のプロモーションを兼ねヨーロッパ・ツアーを6月に行なうことも発表され注目を集めているからだ。

コスタリカで撮影された新作用のビデオクリップも完成し、ピエロの衣装にメークを施したアルフォナの姿も見られる。ステージでピエロのパフォーマンスも軽やかにこなせるようストレッチ(?)にも余念がないようだ。

ロンドン、パリ、バルセロナ、マドリッドなど主要都市を巡演するヨーロッパ・ツアーは2009年以来、8年ぶりとあって話題が沸騰しているようだ。現在、中米地峡諸国のアーティストでヨーロッパ・ツアーを堅実に実現できるアーティストはアルフォナぐらいしかいない。もっとも中米もカリブ諸島圏と拡大してみれば、アルフォナがロンドン公演と前後してドミニカ共和国のバチャータのトップアーティスト、ファン・ルイス・ゲーラ一行も公演を慣行しているはずだ。

今年、53歳を迎えたアルフォナだが、数年前、シンガーソングライターとしての創作意欲が衰えたか同国の若いアーティストを支援することに尽力したいと語り、同国出身で米国にホームベースをおいたガビー・モレノの活動を支援したりしていたが、休めば沸々と湧き上がってくる表現欲求には逆らえないようで昨年のアルバム『アパゲ・ラ・ルス・イ・エスクチェ』の発表以後、さほど時間をおかずに制作をはじめたのがこの新作アルバムだ。今後もしばらく中米地峡を象徴するアーティストとして前傾姿勢を自ら強いるようだ。

その新作アルバムでは編曲などのスタッフにローリング・ストーンズのアルバムにも関わった人材を投入するなど意欲的だった。

ヨーロッパ・ツアーに先立って5月は、アルフォナがラテン世界への飛躍の地としたメキシコ各地で先行ツアーを精力的に行なっている。

(グアテマラシティ●上野清士)


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コミュニティーに溶け込む国際野外演劇祭『フィテカ』

2017年5月29日
中央アンデスのワンカベリカ地域から参加した劇団による一場面 © Oscar Chambi

中央アンデスのワンカベリカ地域から参加した劇団による一場面
© Oscar Chambi

リマ首都圏の人口は、約1000万人で、これはペルー全体の約3分の1にあたる。とりわけリマ周縁部の区に人口が集中しているのだが、その多くは50年から60年代の急激な首都の人口増加に伴い展開された組織的な非合法占拠で作られた居住地帯であり、現在では正式に行政区として認められているところが多い。

リマ旧市街から北へ約15㎞のところに位置するコマス区もそのひとつ。かつては低地部分に畑が広がるのどかな郊外だったが、今では岩盤質の小高い丘の急斜面の上層部にまで低所得者層の住居がひしめき合うベッドタウンとなっている。そして、その一画ラ・バランサ地域で、毎年、国際野外演劇祭『フィテカ』が開催されている。

ディレクターを務めるホルヘ・ロドリゲス

ディレクターを務めるホルヘ・ロドリゲス

地域住民であり、巨大人形を使ったパフォーマンスグループを率いるホルヘ・ロドリゲスは、このプロジェクトのディレクターを務める。「16年前に演劇グループと地元コミュニティーとの共存と交流の場を探した結果がこの祭りの開催だった」と話す彼だが、「当初は住民の参加を促しても何をどう表現したら良いのか分からないという反応が強かった」と言う。そこで、他の地域の演劇グループを招待して交流を深め、住民参加型のイベントを作り上げた。今では、すっかり地域の文化活動としてなくてはならない存在になっている。

第16回目を迎えた今年は、他の3つの地域での開催も含めて全13日間の日程となった。プログラムには地元住民も参加できるワークショップも組み込まれ、国内外から総勢50以上の演劇や音楽グループが出演し、毎日夜遅くまで賑わいを見せた。

一方、ディレクターのホルヘによると、このプロジェクトは、みんなの協力で成り立っていて誰も金銭的な報酬を受けていないと言う。それぞれが、他の活動で生計を立てていて、年に一度のこのイベントに無料奉仕するそうだ。そして、これに賛同するのは、アーティストたちだけではない。建築家や詩人、映像や音響関係者など、各分野のプロフェッショナルがそれぞれ一役買っていて、その協力体制は、年々拡大していっている。

「文化とは、単なる娯楽でもエンターテイメントでもないことをコミュニティーが理解してくれることが目標。文化は、人々が生きるために不可欠なもので、自分たちを、そして世の中を変えるのに最も重要な要素」と力説してくれた。

なお、演劇祭の会場は、以前、ゴミ溜だったという。これを変えたのは、まさに『フィテカ』なのだ。

(リマ●川又千加子)


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